「氷室くんめー、このままで済むと思ったら大間違いよ」

めぐはバスタブに浸かりながら、メラメラと闘志を燃やす。

「大体さ、俺の方がめぐを好きな気持ちが大きいって言うけど、どこがなの?もう片時も君を離さないよ!っていうのなら分かるけど。せっかく二人きりの夜なのに、あっさり『あばよ!』って」

ブツブツ呟いているうちに本気で腹が立ってきた。

「おやすみのチューもないんだよ?それで恋人だって言えますか?いいえ、言えません!もらいに行きましょうとも、おやすみチューを」

ザバッとお湯から出ると、身体を拭いてバスローブを着る。
髪も乾かして寝る支度を整えると、「あとはチューだけ!」と拳を握りしめて部屋を出た。

同じ頃、シャワーを浴びた弦はバスローブ姿でビールを飲んでいた。
コンコンと部屋のドアがノックされて、思わずビクッとする。

「氷室くん、入っていい?」
「いや、ちょっとだめ」

焦りながら必死で声を落ち着かせた。
ホテルでめぐと二人きりなんて、手を出さない訳がない。
だがめぐはまだ軽くキスしただけで頬を染めるような純情さだ。
絶対に今の自分は獣にしか思われないだろう。

(めぐの為にも俺の為にも、頼むから来ないでくれー)

心の中で念じるが、全く通じなかった。

「今はだめなの?いつならいいの?」
「いや、いつでもだめ」
「どうして?ちょっとだけならいいでしょ?」
「そのちょっとが、ちょっとじゃなくなるんだ」
「何言ってるの?もう、入るよ?」
「だめだ!」

慌ててドアに向かうが遅かった。
それどころかドアを開けためぐを自分の胸で抱き留める形になってしまい、弦は一気に身体中が熱くなる。

「……氷室くん」

バスローブ姿のめぐを思わずギュッと抱きしめた。
風呂上りのめぐから甘くていい香りがして、思わず息を吸い込む。
いつもはまとめている髪をサラリとなでると、顔をうずめて耳元にくちづけた。

「めぐ……」
「んっ……」

耳に吐息がかかっただけで身体をピクンとさせるウブな反応のめぐは、汚れのない聖女のようだった。
弦はグッと唇を噛みしめて、めぐの身体を引き離す。

「めぐ、ほら。部屋に戻って寝な」
「でも、氷室くんと一緒にいたい」
「今はだめだ」
「どうして?どうやったら一緒にいてくれるの?」

潤んだ瞳で見上げられれば、理性はもはや彼方へと飛んでいきそうになる。
弦はわざと視線をそらした。

「今回は仕事で来てるだろ?この部屋だって用意してもらった部屋だ。だからプライベートは切り離そう。な?」
「……うん、そうだね」
「それにめぐ、まだ俺のこと名前で呼んでくれないだろ?まずはそこからだ。少しずつ恋人としての時間を重ねていこう」
「そ、そんなの!ちゃんと出来るよ、すぐに出来るから」

思いがけず必死に訴えてくるめぐに、弦は面食らう。

(この場をやり過ごす為にちょっといじわるな事を言ってしまったのに)

めぐは真剣な表情でギュッと自分の手を握ると、意を決したように弦を見上げた。

「大好きです、弦くん」

ドキューンと弦のハートが打ち抜かれる。
頭の中が真っ白になり、何も考えられず、動けない。

そんな弦の肩に手を置くと、めぐは背伸びをしてチュッと可愛くキスをする。

「おやすみなさい、弦くん。また明日ね」

耳元でささやくと、スルリと弦の腕をすり抜けて部屋を出て行った。

「ちっきしょー!なんだよあれ、完全に反則だろ!」

そのあと弦がベッドに突っ伏し、バタバタと暴れ回ったのは言うまでもなかった。