彼と似た気配を感じて神社に来た。
恭介は隣にいたはずだけれど、いつの間にか姿を消している。
ミンミンと蝉の鳴き声がうるさい。
そこには、中学生くらいのポニーテールの女の子が悲痛な顔で拝殿の前に跪いて拝んでいた。
「お願いします。声を聞かせてください。守人おじいちゃんの話を聞いてください」
少し時間が経つと汗をポタポタと落としながら、また同じことを繰り返す。
守人に……何か言われたのかもしれない。
巾着袋からそっと折り紙の鶴を取り出して、彼女の前に置いた。
「え……? あれ、これは……?」
キョロキョロと周りを見渡して誰もいないのを確認すると、彼女は目を潤ませて話し始めた。
「おじいちゃんの言っていたことは、本当だったんですね……。私の話をお願いします、聞いてください。おじいちゃんは脳梗塞で半身麻痺になって、もうここには来られません。リハビリ施設から数ヶ月後には退院します。この土地は手放して、もっと福祉のサポートのある地域に引っ越してもらおうと思っています。おじいちゃんは約束を守れなくなってしまうと葛藤しています。大好きだった人がいるとおばあちゃんにも言えなくて、一人で苦しんでいました。話しだしたら涙が止まらなくなるからと、私にだけ教えてくれたんです。無理矢理聞き出したような感じでしたが……私の名前が紅華で……お母さんがつけてくれた名前でただの偶然だろうけど、これも運命かなと根負けしてここから離れたくない本当の理由を話してくれたんです」
守人がここで開業医を始めたのは、あれから少し時間が経っていた。やはり大学病院などで修行する期間が必要だったからだ。そうしながら看護師さんと結婚したようだ。
ここで診療所を開設し、村おこしにも積極的に取り組んでくれていた。
長女はこの村の男性と結婚したものの、町に引っ越して二人で再就職をしたようだ。長男は医学の道を進み、いずれ守人の跡を継いでくれるときっと信じていたはず。
この子は長男の娘かな……入院していると言うのなら、両親と守人の自宅に何かを取りに来たのかもしれない。
私の思いを本当は紙にしたためたいけれど……私が字を書くと、この体に流れる血のように消えてしまう。
禍津神の力を……使うしかないか。
言の葉をまた、辺りに響かせる。
人の子よ 最初で最後の 言伝を授けよう
「――――!」
彼女が口に手をやり……しばらく呆然としたあとに、慌てて持っていた鞄の中から筆記具を取り出した。
ゆっくりと言葉を放つ。
人として生きてくれたことを 感謝する
この地が朽ちても 妖の郷が私を待つ
滅びだけではない未来が そこにある
眩しいほどの輝きは いずれ消えるからこそ
命の終わりは 長きを共にした者の側で迎えよ
彼女の目から涙がこぼれていく。
彼と似たような華奢な体。優しそうな顔。
もう少し……私の言葉で……。
『お願いを叶えてくれてありがとう。最後まで幸せに。人間らしく、あがき苦しんで寿命が尽きるまで生きなさい』
人は老いていく。
自分の力だけでは望みも叶えられなくなり……。人の介助がなければ――、生きてさえいけなくなる。
『あなたにも、もう会わないわ。禍津神の災厄が降りかかる。神隠し……あなたは望んでいないものね?』
くすくすと笑うと、少し恐怖を感じたようだ。
慌てて筆記具を片付け始めた。
『その鶴を渡せば、守人は信じるわ』
彼女は何度もお礼を言うと、走り去って行った。
私が折ったその鶴は青い。交換したけれど……彼が今も持っているかどうかは分からない。
彼が折ったその鶴は紅い。さっきの彼女が持って行って……あの鶴の隣に置いてくれればと思う。
私の名は紅羽。
私と同じ飛べない羽を持つはずの紅の折り鶴は、私の手を離れて飛んでいってしまった。
……私はもう、そこには行けない。
人は老いる。
私は老いない……けれど村は寂れていく。
「いつかは消えてなくなるのかしらね……」
いつの間にか現れた恭介の方を見ることもなく呟く。
「そうしたら、最強の妖カップルの誕生だな」
「……もう少し感傷に浸らせて」
私の力は強くなっている。
ただの灯りにすぎなかった赤の炎も、今はきっと山火事すらおこせてしまう。
妖だけの学校ごっこをする日も……近いのかしらね。
なんとなく、彼の高校の制服を思い出した。
白い制服が輝いて見えて、その袖から覗く長い手足に少しドキリとした。
人の命は短い。
だからこそ……私も魅入られてしまう。
「恭介は人間には魅入られないの? 妖に刺激は必要なんでしょう? いいわよ、好きなだけ人間の女を観察してきても。別に私、嫉妬もしないし恋人でもないもの。妖の姿が見える女性を探してもいいのよ」
「……これだけ一緒にいて、まるで俺の愛が伝わっていないことに絶望したよ」
あら……今まで見たことのないくらいの落ち込み方をしているわね。
「変化が少しだけほしくなってきたな……」
「そう……変化……高校の制服……とかかしら」
「え、なんだそれ。着てくれるのか!?」
え……今度は今まで見たことのないくらいの輝いた顔をしているわね。
「次に妖の姿が見えて学校の制服を買ってくれると言う奇特な人間に会えたら、頼みましょうか」
「ぐ! そんな機会あるのか……? かっぱらった方が……」
「人間の世界に無駄に迷惑はかけないわ」
人を驚かせるのは性だものね……そっちは仕方がないわよね……。せめてそれ以外の迷惑はかけずにおきたい。
「はぁ……その日が来るのを何百年でも待つか……」
「気の長い話ね」
もう……守人には会えない。
知らないうちに、きっと死んでしまう。
私にはそれを知るすべもない。
禍津神の血を引く妖と人間との刹那の恋は――、こうして幕を閉じた。
後日、もう会わないと言ったのに彼女が守人の家族写真を持ってきた。その写真から、私が彼に与えた禍は福となったであろうことがうかがえた。
裏に引越し先の住所が書いてあるその写真を彼女の手から抜き取った時、彼女が言った。
「二羽の折り鶴をみる度におじいちゃん涙をにじませて、結局おばあちゃんにバレたんですよ」
にこにこと笑いながら、こう続けた。
「二人からの伝言です。ありがとう、紅羽のお陰で長生きができた。子供にも孫にも恵まれた。そこにいる紅華を生み出したのは君でもあるよ」
私が……人を生み出した……?
「私に命を、ありがとうございます!」
弾けるような笑顔を残して、軽やかに彼女は立ち去った。
――どうかこの世界の全ての禍が、福とならんことを――
〈完〉
恭介は隣にいたはずだけれど、いつの間にか姿を消している。
ミンミンと蝉の鳴き声がうるさい。
そこには、中学生くらいのポニーテールの女の子が悲痛な顔で拝殿の前に跪いて拝んでいた。
「お願いします。声を聞かせてください。守人おじいちゃんの話を聞いてください」
少し時間が経つと汗をポタポタと落としながら、また同じことを繰り返す。
守人に……何か言われたのかもしれない。
巾着袋からそっと折り紙の鶴を取り出して、彼女の前に置いた。
「え……? あれ、これは……?」
キョロキョロと周りを見渡して誰もいないのを確認すると、彼女は目を潤ませて話し始めた。
「おじいちゃんの言っていたことは、本当だったんですね……。私の話をお願いします、聞いてください。おじいちゃんは脳梗塞で半身麻痺になって、もうここには来られません。リハビリ施設から数ヶ月後には退院します。この土地は手放して、もっと福祉のサポートのある地域に引っ越してもらおうと思っています。おじいちゃんは約束を守れなくなってしまうと葛藤しています。大好きだった人がいるとおばあちゃんにも言えなくて、一人で苦しんでいました。話しだしたら涙が止まらなくなるからと、私にだけ教えてくれたんです。無理矢理聞き出したような感じでしたが……私の名前が紅華で……お母さんがつけてくれた名前でただの偶然だろうけど、これも運命かなと根負けしてここから離れたくない本当の理由を話してくれたんです」
守人がここで開業医を始めたのは、あれから少し時間が経っていた。やはり大学病院などで修行する期間が必要だったからだ。そうしながら看護師さんと結婚したようだ。
ここで診療所を開設し、村おこしにも積極的に取り組んでくれていた。
長女はこの村の男性と結婚したものの、町に引っ越して二人で再就職をしたようだ。長男は医学の道を進み、いずれ守人の跡を継いでくれるときっと信じていたはず。
この子は長男の娘かな……入院していると言うのなら、両親と守人の自宅に何かを取りに来たのかもしれない。
私の思いを本当は紙にしたためたいけれど……私が字を書くと、この体に流れる血のように消えてしまう。
禍津神の力を……使うしかないか。
言の葉をまた、辺りに響かせる。
人の子よ 最初で最後の 言伝を授けよう
「――――!」
彼女が口に手をやり……しばらく呆然としたあとに、慌てて持っていた鞄の中から筆記具を取り出した。
ゆっくりと言葉を放つ。
人として生きてくれたことを 感謝する
この地が朽ちても 妖の郷が私を待つ
滅びだけではない未来が そこにある
眩しいほどの輝きは いずれ消えるからこそ
命の終わりは 長きを共にした者の側で迎えよ
彼女の目から涙がこぼれていく。
彼と似たような華奢な体。優しそうな顔。
もう少し……私の言葉で……。
『お願いを叶えてくれてありがとう。最後まで幸せに。人間らしく、あがき苦しんで寿命が尽きるまで生きなさい』
人は老いていく。
自分の力だけでは望みも叶えられなくなり……。人の介助がなければ――、生きてさえいけなくなる。
『あなたにも、もう会わないわ。禍津神の災厄が降りかかる。神隠し……あなたは望んでいないものね?』
くすくすと笑うと、少し恐怖を感じたようだ。
慌てて筆記具を片付け始めた。
『その鶴を渡せば、守人は信じるわ』
彼女は何度もお礼を言うと、走り去って行った。
私が折ったその鶴は青い。交換したけれど……彼が今も持っているかどうかは分からない。
彼が折ったその鶴は紅い。さっきの彼女が持って行って……あの鶴の隣に置いてくれればと思う。
私の名は紅羽。
私と同じ飛べない羽を持つはずの紅の折り鶴は、私の手を離れて飛んでいってしまった。
……私はもう、そこには行けない。
人は老いる。
私は老いない……けれど村は寂れていく。
「いつかは消えてなくなるのかしらね……」
いつの間にか現れた恭介の方を見ることもなく呟く。
「そうしたら、最強の妖カップルの誕生だな」
「……もう少し感傷に浸らせて」
私の力は強くなっている。
ただの灯りにすぎなかった赤の炎も、今はきっと山火事すらおこせてしまう。
妖だけの学校ごっこをする日も……近いのかしらね。
なんとなく、彼の高校の制服を思い出した。
白い制服が輝いて見えて、その袖から覗く長い手足に少しドキリとした。
人の命は短い。
だからこそ……私も魅入られてしまう。
「恭介は人間には魅入られないの? 妖に刺激は必要なんでしょう? いいわよ、好きなだけ人間の女を観察してきても。別に私、嫉妬もしないし恋人でもないもの。妖の姿が見える女性を探してもいいのよ」
「……これだけ一緒にいて、まるで俺の愛が伝わっていないことに絶望したよ」
あら……今まで見たことのないくらいの落ち込み方をしているわね。
「変化が少しだけほしくなってきたな……」
「そう……変化……高校の制服……とかかしら」
「え、なんだそれ。着てくれるのか!?」
え……今度は今まで見たことのないくらいの輝いた顔をしているわね。
「次に妖の姿が見えて学校の制服を買ってくれると言う奇特な人間に会えたら、頼みましょうか」
「ぐ! そんな機会あるのか……? かっぱらった方が……」
「人間の世界に無駄に迷惑はかけないわ」
人を驚かせるのは性だものね……そっちは仕方がないわよね……。せめてそれ以外の迷惑はかけずにおきたい。
「はぁ……その日が来るのを何百年でも待つか……」
「気の長い話ね」
もう……守人には会えない。
知らないうちに、きっと死んでしまう。
私にはそれを知るすべもない。
禍津神の血を引く妖と人間との刹那の恋は――、こうして幕を閉じた。
後日、もう会わないと言ったのに彼女が守人の家族写真を持ってきた。その写真から、私が彼に与えた禍は福となったであろうことがうかがえた。
裏に引越し先の住所が書いてあるその写真を彼女の手から抜き取った時、彼女が言った。
「二羽の折り鶴をみる度におじいちゃん涙をにじませて、結局おばあちゃんにバレたんですよ」
にこにこと笑いながら、こう続けた。
「二人からの伝言です。ありがとう、紅羽のお陰で長生きができた。子供にも孫にも恵まれた。そこにいる紅華を生み出したのは君でもあるよ」
私が……人を生み出した……?
「私に命を、ありがとうございます!」
弾けるような笑顔を残して、軽やかに彼女は立ち去った。
――どうかこの世界の全ての禍が、福とならんことを――
〈完〉



