求婚は突然に…       孤独なピアニストの執着愛

「初めまして。すいませんご挨拶が遅くなりまして、筧 紫音と申します。」
紫音さんも丁寧に頭を下げて挨拶をする。 

「あらあら、噂にたがわずイケメンね。背もお高くて、お母さん緊張しちゃうわ。」
と、母はミーハーな気持ちを全面に出してテンションを上げてくるから、

「いえ、とんでもないです…。
それよりも、お帰りの時間を引き延ばして頂いて申し訳けありませんでした。少し彼女と2人で話がしたいので、お時間頂けますか?」
紫音さんは、そんな母に若干たじろぎながら、どこまで低姿勢だ。

「もちろんですよ。私はお昼ご飯を作ってますのでごゆっくり。」
と、母はにこやかな笑顔を残して戻って行った。

「心奈の部屋でいいか?ちょっと話しがしたい。」
そう言いながら、彼は当たり前のように私を横抱きに抱き上げて、部屋まで連れて行く。

「実家で療養する事にしたんだ…。」
私をソファに座らせながら、落ち着いた口調で聞いてくる。

「はい。紫音さんも忙しいでしょうし、これ以上手を煩わせる訳にはいかないと思って。自分の病気共、向き合う良い機会だと思いますし…。」

「悪夢を見て眠れなくなったんだって?
心奈の病気は一進一退を繰り返すだろうから焦りは禁物だよ。そんなに自分を追い込まなくてもいいんだ。
だけど、やっぱり家族との方が気楽に生活出来るだろうし…俺の気持ちを押し通す訳にもいかないから、止める事は出来ないけど…俺は心奈が居ないと寂しい。」
紫音さんが珍しく心の内を露としてくるから、

「私もです…。紫音さんに会えないのは寂しいし、不安もいっぱいです。だけど…今でずっと頼り過ぎて、甘え過ぎていた事にも気付いて…このままでは本当にあなた無しでは生きられない弱い人間になってしまいます。」
私も自分の素直な気持ちを紫音に伝える事が出来た。

「俺はそれでも構わないんだけど。
心奈が毎日笑顔で過ごせるのならば、なんだって喜んでやるし、害になるものは全て排除したい。
そうやって俺が勝手にする事に、心奈が気を病む必要はないんだ。」
諭すように懇願するようにそう言うから、

「紫音さんの側は私にとって、とても居心地が良い場所です。だけど…それではいつまで経っても、紫音さんの隣りに並んで立つ事なんて出来ないって…思ったんです。」

「俺はそんなに立派な人間なんかじゃないよ。勝手に周りが作り上げた虚像のイメージが一人歩きしているだけで、1人じゃ生きられない社会不適合者だって、心奈も一緒に生活して見て分かっただろ?
君が居なかったらきっとずっと夜型だったろうし、洗濯機だって使い方も知らないままだった。」
君のお陰で出来るものが増えたんだと、彼は言う。

「そう言ってもらえて嬉しいです。」
私はちゃんと役に立てたんだと心底ホッとした。

「ねぇ…それにしてもなんで部屋がこんなに片付いている?1カ月後には帰って来るんだろ?」
紫音さんからそう言われて少し慌てる。

「えっと…せっかくなら衣替えも兼ねてと思って…。」

「本棚の本も衣替えする気か?」
鋭い指摘に私はタジタジになる。

「えっと…怪我が治ったら、一人暮らしに戻るべきかなって…。」
さっきまでそんな事を考えながら、部屋を片付けていたからつい、関係ないところまで段ボールに入れてしまっていた事に気付く…。

「俺は出来ることなら君の家族になりたいんだ。だから迷惑だって思わないし、むしろ甘えてもらう事は嬉しいんだよ。」
切実な紫音からの訴えに、心奈の心も揺れ動く。

「…怪我が良くなったら帰って来ます…。」
それが正しいのか分からない…でも、やっぱり離れ難い。

ぎゅっと握られた手を握り返して、見つめ合えば、しばらくのお別れに鼻がツンと痛くなる。

「ああ、本当は行かせたくないんだ。
心奈の為だって思って泣く泣く手離す俺の気持ちだけは分かっていて欲しい。」
紫音さんからぎゅっと抱きしめられて、堪らず涙が溢れ出す。

しばらく抱き合い、2人の思いは一緒なのだと確認する事が出来た。

それから紫音さんに、これからは毎日一回はメールや電話をして連絡をとる事。
どんな事でも1人で無理せず周りを頼る事。思っている事はお互い隠さず話す事。

この三つを約束して、しばしの別れをそれぞれ噛み締めた。