求婚は突然に…       孤独なピアニストの執着愛

どうにか梶原から逃げようと、必死で走りカーブを曲がった先で何かに躓き転んでしまう。その拍子にグキッと足首を捻ってしまう。
痛っ…!と思いながら、捕まりたくなくて必死に立ち上がり走り出そうとした所、また腕を掴まれて引っ張られる。

「お前結婚したんだってな。同期の山田が得意先のパーティーで会ったと聞いた。
俺から離れてお前が生きられる訳ないだろ?1人じゃ何にも出来ないくせに。」

何を言ってるんだろう…この人は…。

今まで付き合った事も無ければ、付き合う事を承諾したつもりもない。身勝手な独りよがりの一方通行な思いを押し付けられて、結局会社を辞める羽目になったのに…。

「離して…離して下さい。あなたと話し合う事なんてありません。」
再び掴まれてしまった片手をどうにか外そうとする。

「なんだ?この指輪…勝手に俺のものに印をつけやがって!」
心奈の左手薬指のエンゲージリングを目敏く見つけ、外そうと力付くで引っ張られる。

心奈は既に傘も何もかも放り投げ、ただただ逃げなければともがく。

「心奈…!!」
前から雨の中傘もささずに走り寄る人影…

ああ…良かった…

そう思った瞬間、梶原に掴まれた手が急に離されよろめき、後ろに尻餅をつきそうになる。彼がギュッと引き寄せ抱き留めてくれた。紫音の暖かなぬくもりに安堵する。

「…紫音さん…。」
思わずその広い肩に抱きついてしまう。

「もう…大丈夫だ…。」
マンションから走り続けて来てくれたのか…はぁはぁと肩で呼吸をしている。

「…マジかよ…ピアニストの…SIONさんですよね?なぜ貴方とコイツが一緒にいるのか知りませんが、コイツは俺のなんですいませんが、返してもらっ…。」

ガツンッ!!

突然、鈍い音が響き渡り、心奈も梶原さえも、何が起きたか瞬時には分からなかった。

梶原は自分が、濡れた地面に吹っ飛ばされた事に気付き紫音を仰ぎ見る。おもむろに口を拭えば血の味がする。

「お前が…心奈を傷付けた張本人か…梶原宏樹。絶対許さない…。」
低く絞り出した声は普段の紫音とはまるで別人で、それだけで怒りの強さが垣間見えた。

「…お言葉ですがSIONさん。コイツは黒縁メガネかけて、下ばっか見てるような陰キャが合ってるんですよ。あんな煌びやかなひらひらなドレス着せて、ブルーダイヤなんかで着飾るような女じゃないんで、辞めてもらえますかね。」

梶原はそう言って凄んで、心奈の価値を下げるような事を言ってくるから、紫音の怒りは沸点に達する。

「お前は心奈をなんだと思ってるんだ。彼女は誰のものでも無い。意思ある1人の女性だ。そして、俺にとっては唯一無二の大事な人だ。自分の私有物みたいに言われるのは我慢ならない。」
普段、穏やかな紫音の静かな怒りは、周りの空気すら凍らせて怖いくらいだ。

「…紫音さん。私は大丈夫ですから早く帰りましょ。こんなところ誰かに見られでもしたら、貴方の経歴に傷が付いてしまいます。」

ことの成り行きをハラハラ見守っていた心奈だったが、これ以上事が大きくなってはいけないと紫音を止める。