求婚は突然に…       孤独なピアニストの執着愛

今日は金曜日。
きっと明日には紫音さんに会えるんじゃないかな、会えたらいいなと思いながらの帰り道。

ふと顔を上げると、畦道の向こうからこんな田舎道ではまず見かけない、真っ赤なワンピースに赤いピンヒールを履いた女性が、砂利だらけの畦道をぎこちなく歩いて来るのが見える。

何でこんな田舎に?
不思議に思いながら通り過ぎようと脇に寄ると、
「こんにちは。葉月心奈さん、私の事お忘れかしら?」
そう声をかけられる。

「こんにちは…。」
と、返事をしながらじっと見つめる。
どこかで会った事が…?小首を傾げながらしばらく考えていると、

「失礼な人。私の顔を忘れるなんて…。
私、VOLDレコード社長の秘書をしております。西園寺涼子と申します。創立パーティーで貴女のお顔を拝見しましたが、思い出しませんか?」

「あっ…。紫音さんの…会社の…。」
パーティーの会場で、去り際やたらと睨んできた秘書だと気付く。

「あの時は、大変失礼致しました。
…主人がいつもお世話になっております。」
パーティーの時に、何度も何度も繰り返した定型文が咄嗟に口を付く。

「こんなところに来てもまだ、軽々しくそんな嘘をほざいているの?」
えっ…とびっくりする。
綺麗な雰囲気に到底似合わない口振りに、ドクンと心臓が嫌な音を立て、私はただただ何度も瞬きを繰り返す。

「貴女、紫音さんとは結婚なんかしてないじゃない。勝手に妻を装って、彼の隣に寄り添うなんて誰から見たって不自然よ。」

「えっと…その事紫音さんが…?」
突然の叱咤に恐れをなして一歩後退りする。

「どう見たって不釣り合いよ。私は彼がデビューする8年前からずっとファンなの。日本に彼を呼んだのだって私の強い気持ちがあったからよ。それをポッとでの冴えない小娘に掻っ攫われるなんて、到底信じられる訳ないわよ。」
こちらで全て調べさせて頂きました。と、西園寺涼子さんがニヤッと笑う。

「私が今日わざわざこんな田舎に来てやったのは、これを機に貴女から離れるべきだって伝えてあげる為に来たの。身の程知れずも甚だしいわ。自分から身を引きなさいな。」

そう言い放ち、茶色の封筒を突き付けてくるから、
「…これは…?」
見当が全くつかない私は、その封筒見つめ呟く。

「手切れ金よ。最初から金で雇われたんでしょ?紫音さんからしたら同郷のよしみで頼みやすかったのかもね。それとも、冴えない貴女に同情したのかしら?見窄らしい野良猫を拾ったような気持ちだったのかも。彼、優しいから。」

「同情…。」
不釣り合いな事ぐらい私だって分かってる。だけど彼の言葉の全てに嘘がない事は分かる。いつだって誠実に私の傷付いた心に寄り添ってくれた人だから…決して同情だけじゃない気持ちが確かにあると思う。

「これは頂けません。彼とは結婚を前提にお付き合いをさせて頂いています。この指輪はその証として紫音さんが買ってくれました。私は彼の言葉だけを信じます。」
失礼します。と、頭を下げて足速にその場を立ち去る。どんなに頑張って歩いても、未だに松葉杖を片方だけ外せないでいるから、直ぐに追いつかれてしまう。

「待ちなさいよ。話しはまだ終わってないわ。私、紫音さんと結婚するの。貴女の事なんてこれっぽっちも好きじゃないって、紫音さんが言ってたわ。男性恐怖症だから下手に触れる事も出来ないし、欲求不満だっていうから、私で良ければって彼と寝たわ。本当よ、これが証拠の写真。」

彼女はスマホをかざして私に見せてくるから、否応無しに視界に飛び込んでくるその写真は、寝ている紫音さんに、腕枕をされた女性が嬉しそうに笑っている姿…

「健全な男だったらまず性欲には抗えないの。紫音さんもただの男だって事、抱けない女より私がいいって言ってくれたわ。
貴女を傷付けたくなくて、本当は写真なんて見せたくなかったんだけど…。」
勝ち誇った顔で彼女は言う。

分かっていた。頭の片隅で…私と彼はキス止まりで、それ以上を求められる事がなかったから…男性恐怖症の私を気遣ってくれてる事も。

…もしかしたら…性的な対象では無いのかもと…。