あやめお嬢様はガンコ者

食後のデザートと紅茶は、ソファ席に場所を移した。
案内されたのは、窓に向かって並んで座れる二人掛けのソファ。
背もたれが緩くカーブしている為、座っていると周りから死角になる。
照明もグッと絞られ、時間の流れもゆったりと感じられた。

「なんだかすごく落ち着く」

そう呟くと、久瀬くんは意外そうに私の横顔を見る。

「それなら良かったです。さっきまでのあやめさんは、居心地悪そうにソワソワしてましたから」
「そ、それはその……。久瀬くんの顔が正面にあったので落ち着かなくて。今は見なくて済みますから」
「それって、喜んでいいのか悲しんでいいのか」
「どうしてですか?」
「だって、俺の顔を見るのが恥ずかしいほど意識してくれてるなら嬉しいですけど、今はこんなに近くにいるのに落ち着くって言われたら、そうじゃないのかと」

こんなに近く?と、私は右隣の久瀬くんに目を向けた。
すぐ目の前で微笑みかけられ、慌てて視線をそらす。

「や、やっぱり居心地悪いです」
「はは!それなら喜んでいいのかな」
「どうして?」
「あやめさんが、俺にドキドキしてくれてるから」
「そういう訳では……」
「ねえ、あやめさん」
「はい?」

呼ばれて思わず久瀬くんを振り仰ぐ。

「俺のこと、好きでしょ?」

カッチーンと身も心も固まる。
頭の中が真っ白になり、久瀬くんと視線を合わせたままピクリとも動けなくなった。
久瀬くんは楽しそうに、ん?と首を傾げている。

「ど、どうして?」
「だって顔が真っ赤ですから。職場でもチラチラ俺のことを見て、目が合うと恥ずかしそうにうつむいて。どう見ても恋する乙女ですよ?」
「それはあり得ません」
「どうして?」
「私は28歳です。乙女という表現は当てはまりません。それに久瀬くんは私よりも年下です。正直に申しますと久瀬くんのことを好きだと思っていましたが、年下ですから現実的には発展させられません」

はあ?と久瀬くんは、あからさまに怪訝そうな声を出した。

「年下だからって、また妙なポリシーですか?ほんとに頭の固いお嬢様だな」
「ですから!お嬢様扱いしないでください」
「それならあやめさんも、変なお嬢様ポリシー捨ててください。政略結婚しなきゃいけないとか」
「あ、それは捨てました」
「え?そうなんですか」
「はい。由香里ちゃんに言われたんです、見くびらないでって。私が政略結婚しなきゃいけないほど、ふたば製薬の社員はヤワじゃないですものね。ですから失礼な発想はやめました。私の政略結婚なんて、何の役にも立ちませんから」
「東がそんなことを?」

久瀬くんは、ナイス!東!と小さくガッツポーズをする。
そしてまた私に向き直った。

「それならあやめさん、好きな人と恋愛結婚するつもりなんですね?」
「それはお相手次第です。結婚相手が見つからなければ、やはりお見合いしようかと」
「なんでそうなるんですかー!」

今度は頭を抱える久瀬くんを、忙しそうだなと私は見守る。
久瀬くんはしばし考え込んでから、ゆっくりと顔を上げた。

「あやめさん、こじれた思考回路をほどきましょう。まず、相手が年下だから恋愛出来ないという理屈は通じませんよ」

久瀬くんは私の目をじっと見つめて語りかける。

「恋をすれば、年齢なんて関係なくなる。俺と目が合って恥じらうあやめさんは、どう見ても恋する少女です」
「え、それはマズイのではないかしら。28歳なんだから、それ相応の振る舞いでなければ」
「いいんです、恋愛に関しては。あやめさん、恋愛に慣れてないですよね?そうなってしまうのも無理ないです」
「でも26歳の久瀬くんには、28歳の私よりお似合いの女の子がいると思うんです」
「それも偏見です。俺はあやめさん自身が好きなんですから」

真っ直ぐに告げられて、私は恥ずかしさに視線を落とした。

「ねえ、あやめさん。さっき言ってくれましたよね?正直に言うと、俺のことを好きだったって」
「そうなんですけど。でも私にその資格はないですよね?」
「はい?どうして?」
「だって私は、一度きっぱりと拒絶してしまいましたから。久瀬くんとは結婚出来ないと。それを舌の根も乾かぬうちに、どんな顔してあなたが好きだと言えると?手のひらを返したように前言撤回するのは、信頼に欠ける行為だと思います」

いやいやいやいや、と久瀬くんはまた頭を抱える。

「あやめさん、そのビジネスライクな考え方はやめましょう。恋愛ってもっと心を優先していいんですよ」
「心を、優先?」
「そうです。今どう思ったか、それが全てなんです。あやめさん、今俺と一緒にいて嫌ですか?」
「いいえ」
「じゃあ、俺があやめさんの手に触れたら嫌ですか?」
「えっと、緊張します」
「ふふっ、可愛い」

は?と声を上げると、久瀬くんは慌てて真顔に戻った。

「失礼。それでは、あやめさんの心に聞きます。返事はしなくていいので、嫌だって感じたら俺を突き飛ばしてください」
「え、そんなことは……」
「いいから、黙って」

そう言って久瀬くんは人差し指を私の唇に当てた。
私は言葉を忘れたように黙って久瀬くんを見つめる。
やがて久瀬くんはそっと私の両手を取った。
優しく指を私の手の甲に滑らせてきゅっと握る。
ドキドキしながらうつむいていると、あやめさんと名を呼ばれた。
顔を上げるとすぐ目の前で久瀬くんが笑いかけてくれ、私は視線をそらせなくなった。

久瀬くんは右手で私の頬に触れると、ほんの少し私の顔を上に向ける。
そのままゆっくりと顔を寄せ、ふわっとかすめるように私の頬に口づけた。
何も考えられず、なぜだかじわりと目が潤む。
私の様子をうかがうように見つめてくる久瀬くんを、必死で涙を堪えながら見つめ返した。
久瀬くんは切なげにきゅっと眉根を寄せると、目を閉じてもう一度顔を寄せてきた。
自然と私も目を閉じる。
次の瞬間私の唇に、温かく柔らかい久瀬くんの唇が重なった。
優しくついばむように触れられて、胸の奥がジンとしびれる。
まつげに留まっていた涙がスッとこぼれ落ちるのを感じた。

唇が離れると、私は思わず吐息をもらす。

「あやめさん?」

心配そうに顔を覗き込まれて、私は恥ずかしさのあまり久瀬くんの胸に顔をうずめてしまった。
久瀬くんのシャツの胸元をきゅっと掴み、ピタリと身体を寄せる。

「あやめさん、どうしたの?顔見せて」
「……無理、恥ずかしくて」
「ひょっとして嫌だった?」

返事の代わりに、私は小さく首を振る。

「じゃあ、俺のこと好き?」

それには何も答えられない。
とにかく今は冷静にはなれなかった。

「やれやれ、強情だな」

ふう、と大きく息をついてから久瀬くんは私の肩に両手を置いた。

「あやめさん、もう一度よけなかったら認めてね。俺が好きだって」
「え、あの、待って」
「待ったナシ」

久瀬くんは今度は私の首の後ろに手をやり、ちょっと強引に抱き寄せてからキスをする。
さっきよりも深く、熱く、甘いキス。
私の身体から力が抜けていく。

チュッとかすかなリップ音と共に唇が離れると、私は潤んだ瞳で久瀬くんを見上げた。

「ふっ、聞かなくても分かるね。あやめさん、俺が好きでしょ?」
「……うん。私、久瀬くんが大好き」

久瀬くんは驚いたように目を見開いてから、それはそれは幸せそうな笑みを浮かべた。

「ヤバ、最高に嬉しい」

そしてもう一度、とろけそうなほど愛のこもった甘いキスをくれた。