「じゃ、あとは若いお二人でごゆっくり。ははは!」
今どき本当にそんなセリフを言う人がいたとは……と、私は視線を落とす。
程よくお酒も入った上機嫌の父と部長が肩を並べて料亭の座敷を出て行くと、私はすぐさま座布団から降り、両手を畳の上で揃えて頭を下げた。
「久瀬くん、本日はご迷惑をおかけして大変申し訳なく存じます」
「いえいえ、そんな。顔を上げてください、あやめさん」
しばらく間を置いてから、私はゆっくりと顔を上げる。
オーダーメイドの仕立ての良いスーツに身を包んだ久瀬くんが、涼し気な二重の目を柔らかく細めて微笑んでいた。
「どうしてあやめさんが謝るんですか?」
「それは、色々と……」
思わず目を伏せて語尾を濁す。
私と久瀬くんは、ふたば製薬株式会社で働く同僚。
私は薬事部で事務を、久瀬くんは営業部で、医師や薬剤師に医薬品の情報を提供する Medical Representatives、いわゆるMRをしている。
年齢は確か久瀬くんが私より2歳下だ。
久瀬くんは爽やかな笑顔と丁寧な対応で、売り上げ成績は常にトップ。
おまけに目鼻立ちの整った端正な顔とスラリとしたスタイルの良さで、社内の女子社員からもモテる。
華やかなオーラをまとった久瀬くんを見かけるたび、私はいつも別世界の人だと感じていた。
「まずは、私の素性を隠していたことからお詫びいたします。相手が社長の娘だからと、久瀬くんは今日のお見合いを承諾されたのですよね?その相手が私で、さぞがっかりされたことと存じます。お詫び申し上げます」
もう一度深々と頭を下げると、またしても久瀬くんは明るく声をかけてくれた。
「ですから、あやめさんが謝ることなんて何もありませんよ。それより、あやめさんの方こそ俺が相手でがっかりされましたよね?綺麗な振袖まで着て来てくださったのに、俺なんかですみません」
「いえ、とんでもない」
とっさに顔を上げて、慌てて否定する。
「若さ弾ける我が社のアイドルMRの久瀬くんが、私のような年上地味社員とお見合いだなんて、人生の汚点と後悔されていると存じます。ですがどうぞご安心を。私は決して口外いたしませんし、このお話はキレイさっぱりなかったことにしてみせますので」
は……?と呟いたあと、久瀬くんは堪えきれないとばかりに笑い出した。
「あの、久瀬くん?」
何がそんなにおかしいのだろうと思いながら恐る恐る声をかけると、久瀬くんは目尻に浮かんだ涙を拭いながら「失礼」と笑いを収めた。
「このお見合いをなかったことになんて、あやめさんはどうされるおつもりなのですか?」
「それは、過去6回のお見合いを破談にしてきた経験と実績をもとに、今回も妙案をなんとかひねり出してみせます」
「くくっ……、そうですか」
久瀬くんはなぜだか肩を震わせながら、神妙に頷く。
「ということは、あやめさん。今はまだ妙案が浮かんでないんですね?」
「おっしゃる通りです。なにせ今回はお相手が、これまでとはひと味もふた味も違いますから」
「それって、俺の味ってことですか?」
眉根を寄せた久瀬くんは、肩を震わせつつ聞いてくる。
「左様でございます。これまでのお相手は皆、言ってみれば赤の他人。初めましてでさようなら、でも問題なかったのです。ですが今回は同じ会社の同僚で、部長のご紹介ですから」
「なるほど」
片手で口元を覆いながらうつむく久瀬くんに、私は思わず身を乗り出した。
「そこで久瀬くんに、恥を忍んでお願いがございます」
「何でしょうか?俺に出来ることなら、何なりと」
「はい。この縁談を真っさらな白紙に戻すべく、ぜひお知恵をお借りしたいのです。営業成績トップの久瀬くんなら、さぞかし高等な処世術と巧みな話術をお持ちのことでしょうから」
真顔で訴えると、久瀬くんは一瞬ポカンとしたあと、顔を伏せて肩を震わせる。
「あの、久瀬くん?」
さっきからどうも何かを堪えているような久瀬くんの様子に、私はどうしたのかと考えを巡らせた。
「あ、もしかして!久瀬くん、足がしびれましたか?」
「……は?」
「ずっと正座したままでしたものね。気づかず失礼いたしました。足を崩してくださって良かったのに」
「あ、いや……」と言ってから、久瀬くんは思いついたように顔を上げる。
「あやめさん、少し外を歩きながらお話ししませんか?」
「ええ、そうですね。この料亭には見事なお庭がありますから。ちょうど桜も見頃だと思います」
「いいですね。ではのんびりお花見しながら作戦会議といきましょうか」
「はい、よろしくお願いいたします」
こうして私は久瀬くんと連れ立って庭園へと向かった。
今どき本当にそんなセリフを言う人がいたとは……と、私は視線を落とす。
程よくお酒も入った上機嫌の父と部長が肩を並べて料亭の座敷を出て行くと、私はすぐさま座布団から降り、両手を畳の上で揃えて頭を下げた。
「久瀬くん、本日はご迷惑をおかけして大変申し訳なく存じます」
「いえいえ、そんな。顔を上げてください、あやめさん」
しばらく間を置いてから、私はゆっくりと顔を上げる。
オーダーメイドの仕立ての良いスーツに身を包んだ久瀬くんが、涼し気な二重の目を柔らかく細めて微笑んでいた。
「どうしてあやめさんが謝るんですか?」
「それは、色々と……」
思わず目を伏せて語尾を濁す。
私と久瀬くんは、ふたば製薬株式会社で働く同僚。
私は薬事部で事務を、久瀬くんは営業部で、医師や薬剤師に医薬品の情報を提供する Medical Representatives、いわゆるMRをしている。
年齢は確か久瀬くんが私より2歳下だ。
久瀬くんは爽やかな笑顔と丁寧な対応で、売り上げ成績は常にトップ。
おまけに目鼻立ちの整った端正な顔とスラリとしたスタイルの良さで、社内の女子社員からもモテる。
華やかなオーラをまとった久瀬くんを見かけるたび、私はいつも別世界の人だと感じていた。
「まずは、私の素性を隠していたことからお詫びいたします。相手が社長の娘だからと、久瀬くんは今日のお見合いを承諾されたのですよね?その相手が私で、さぞがっかりされたことと存じます。お詫び申し上げます」
もう一度深々と頭を下げると、またしても久瀬くんは明るく声をかけてくれた。
「ですから、あやめさんが謝ることなんて何もありませんよ。それより、あやめさんの方こそ俺が相手でがっかりされましたよね?綺麗な振袖まで着て来てくださったのに、俺なんかですみません」
「いえ、とんでもない」
とっさに顔を上げて、慌てて否定する。
「若さ弾ける我が社のアイドルMRの久瀬くんが、私のような年上地味社員とお見合いだなんて、人生の汚点と後悔されていると存じます。ですがどうぞご安心を。私は決して口外いたしませんし、このお話はキレイさっぱりなかったことにしてみせますので」
は……?と呟いたあと、久瀬くんは堪えきれないとばかりに笑い出した。
「あの、久瀬くん?」
何がそんなにおかしいのだろうと思いながら恐る恐る声をかけると、久瀬くんは目尻に浮かんだ涙を拭いながら「失礼」と笑いを収めた。
「このお見合いをなかったことになんて、あやめさんはどうされるおつもりなのですか?」
「それは、過去6回のお見合いを破談にしてきた経験と実績をもとに、今回も妙案をなんとかひねり出してみせます」
「くくっ……、そうですか」
久瀬くんはなぜだか肩を震わせながら、神妙に頷く。
「ということは、あやめさん。今はまだ妙案が浮かんでないんですね?」
「おっしゃる通りです。なにせ今回はお相手が、これまでとはひと味もふた味も違いますから」
「それって、俺の味ってことですか?」
眉根を寄せた久瀬くんは、肩を震わせつつ聞いてくる。
「左様でございます。これまでのお相手は皆、言ってみれば赤の他人。初めましてでさようなら、でも問題なかったのです。ですが今回は同じ会社の同僚で、部長のご紹介ですから」
「なるほど」
片手で口元を覆いながらうつむく久瀬くんに、私は思わず身を乗り出した。
「そこで久瀬くんに、恥を忍んでお願いがございます」
「何でしょうか?俺に出来ることなら、何なりと」
「はい。この縁談を真っさらな白紙に戻すべく、ぜひお知恵をお借りしたいのです。営業成績トップの久瀬くんなら、さぞかし高等な処世術と巧みな話術をお持ちのことでしょうから」
真顔で訴えると、久瀬くんは一瞬ポカンとしたあと、顔を伏せて肩を震わせる。
「あの、久瀬くん?」
さっきからどうも何かを堪えているような久瀬くんの様子に、私はどうしたのかと考えを巡らせた。
「あ、もしかして!久瀬くん、足がしびれましたか?」
「……は?」
「ずっと正座したままでしたものね。気づかず失礼いたしました。足を崩してくださって良かったのに」
「あ、いや……」と言ってから、久瀬くんは思いついたように顔を上げる。
「あやめさん、少し外を歩きながらお話ししませんか?」
「ええ、そうですね。この料亭には見事なお庭がありますから。ちょうど桜も見頃だと思います」
「いいですね。ではのんびりお花見しながら作戦会議といきましょうか」
「はい、よろしくお願いいたします」
こうして私は久瀬くんと連れ立って庭園へと向かった。