キミのために一生分の恋を歌う② -last stage-

最初に居なくなったのは、私のお父さんだった。
お父さんは小春が生まれるより少し前に事故で亡くなった。
私も2歳になる前だったから、顔や声もよく覚えていなくて。でも写真で見たり、僅かに記憶に残るお父さんはいつも幸せそうに笑っていた。

お父さんはフランスで生まれた。
ピカードという名前だった。
父も唯一無二な歌声を持つと言われた、世界でも活躍する歌手だった。

バイオリニストだった母の茜(あかね)と出会い、父をボーカルとして母の仲間たちと一緒にSpica(スピカ)と呼ばれる音楽グループを結成、それをきっかけに2人は結婚した。それからは日本を中心に活動し、デビュー後すぐに旋風を巻き起こすほどの人気だったと聞いている。

「ピカード、朝ごはんできたよ」
「茜、いつもありがとうね」

母は、よく愛おしそうに包み込むように、その名を呼んでいたのだけは覚えている。

「冬夜(とうや)。私たち今日は仕事で遅くなるから、小夏のことよろしくね」
「分かったよ、父さん、母さん。今日も愛してる。気を付けてね」
「ええ、私達も愛しているわ。冬夜」

ーーそしてあの人のこと。冬夜、と呼ばれた私たちの兄は、その時にはもう17歳を超えていたはずだ。
冬夜はお兄ちゃんだけど、私たちとは血が繋がってはいない他人だった。
父が海外の施設から引き取った子供だったからだ。
15になると、成人として施設を追い出されるところを父が貰い受けた。

施設では随分酷い待遇を受けていたそうだ。
名前もなく、物として奴隷のように扱われ続けていたと。

冬の寒い夜に施設の前に捨てられていたから、父が彼を引き取る時に「冬夜」と名付けた。
物として扱われ続けた冬夜には始め、何も無かった。
名前も身よりもなく、お金もなく、瞳には一つの光も宿っていない。今に死んでもおかしくないほどに衰弱していた。

「冬夜、君はいま人生が無意味だと絶望しているかもしれない。だがそんなことはない。これからこの家でゆっくりその心を解きほぐしていけばいい」

父は、はじめ中々子供のできなかった母の寂しさを埋めて希望をもてるようにと、冬夜を引き取った。
綺麗な青い瞳をした青年は、体こそ弱かったが、心持ちは優しく純真で母の寂しさを埋めていった。

「父さん、母さん……」

まだおぼつかない声で、そう呼ぶ冬夜を愛おしく思った。
そんな日々も通り過ぎて、半年も過ぎると冬夜は随分元気になり、笑うことも増えた。

その翌年、そうした環境の変化が功を奏したのか、母は奇跡的にも私を妊娠した。
私が生まれ、家族は一層に賑やかになり、あたたかさに包まれていた時、今度は小春の妊娠が判った。

「これからこの家はもっと賑やかになる。冬夜、しっかり頼むぞ」
「はい! 父さん。みんなのことは僕が守ります」

母はまだ小さい私を抱きながら、笑っていた。
その夜だった。
東京でも珍しく雪が積もった夜。
仕事へ向かっていた父はスリップした車に巻き込まれ事故に遭い、そのままだった。

Spicaの活動期間は、たった一年間で終わってしまった。
Spicaは即日解散し、しかしその頃には世界規模になっていたグループのボーカルの死は全世界が悲しむ大きなニュースになった。