うちの高校でまことしやかにささやかれている都市伝説があった。
 クラスでハブられているオレでも知っているくらいだから、相当有名な話っぽい。
 東校舎に取りつけられた非常階段の最上階には幽霊が現れるんだって。
 いじめを苦にして亡くなった霊らしいが、遭遇すると『脱出口』を用意してくれるという。

 あるウワサによると、何らかの解決策、突破口をアドバイスしてくれるが、とんでもなく恐ろしいことが起こるらしい。
 またあるウワサでは、そこから飛び降りる後押しをするのだともいわれていた。
 ともかく、現状から抜け出す脱出口だ。
 非常階段を逆さに上って逃げ出そうっていうんだから笑うよね。

 まぁ、そんなわけだから。
 オレにはその霊の気持ちがよくわかる。
 ウワサの幽霊と、どんな日に遭遇できるかといったら、こんな日だろう。
 夏休みの最終日。
 明日から学校に行きたくない、行きたくないと思いながらこんなところにやってきて、誰かに知らしめるために階段を上るのだ。

 上ってみれば非常階段は3階までしかなかった。
 踊り場から身を乗り出して下を覗く。
 この中途半端な高さから飛び降りて死ねなかったことを考えるほうが怖かった。
「そうなれば最大級に馬鹿にされるな」
 ぽつりとつぶやくと、
「うん、そう思う」
 唐突に後ろから声が聞こえ、おののいて手すりをつかんで振り返る。

 同じくらいの年格好の少女が後ろに手を組んで立っていた。
 彼女がそうなのだろうか。
 制服を着ていないからうちの学校かわからない。そういうオレも、休みの日に制服なんか着ていないが。
 彼女は丈が短い水色のワンピースにチェックの長袖シャツを腰に巻いていて、野暮ったいセンスがちょっぴり残念と思わせるくらいに、かわいらしい子だった。
 だが、髪の毛が刈り取られたみたいにバラバラの長さで、それを指摘するのは不憫に思った。

 彼女に実態があるのか触れてみたかったが、いきなり触るわけにもいかない。
 彼女はふわりと音も立てずに隣に並んで下を覗き込んだ。
「自分の運命を試してみるのもいいけど、飛び降りなんて、やめた方がいいと思うよ」
 見透かしたように彼女はいった。

 これがウワサの突破口?
 オレには生きるためのアドバイスをしようとしているのか。
 自分がしたことを後悔しているからこそ、こうやって幽霊として現れているのか。

「きみだって。こんなところでなにしてるの」
 そう問われて彼女ははにかんだ。後ろ暗いことなんてなんにもなさそうにみえる。
「ちょっとね。思いついたことがあって」
「思いついたこと……」
 彼女の『思いつき』がなんであるか尋ねるのは怖くもあった。
 だが、彼女は飛び降りてそれを再現してみせるようなことはしなかった。

「あしたはタイムカプセルを埋める日だね」
 彼女はグラウンドの向こう側にある9本の桜の木に視線を向けた。大きく幹を広げて青々と生い茂っている。
 グラウンドの隅に追いやられている桜は開校10周年毎に植えられた記念樹だった。一番若い桜でも10年が経過している。
 今年も桜の苗木と一緒にタイムカプセルを埋めるのだ。
 自分宛の手紙を書き、10年後に開封されることになっている。

 それを知ってるということは、やはりこの学校の生徒のようだ。
 オレはまだ自分宛の手紙を書いていなかった。
 なにも伝えることなんてない。10年後の自分――26歳の自分は、10年前の自分を知っているのだから。

 それに、みんな10年後にちゃんと手紙を受け取りにくるのだろうか。10年も経てば今のいっときなんてどうでもよくなって、10年後に光り輝いているヤツが自慢したいがためにやってくるんじゃないか。
 ――ああ、そうか。
 未来になれば「今」なんてどうでもいいのか。
 今、このいっときのために、人生を投げ出すなんて馬鹿げているのかもしれない。
 この高校にこだわり続ける理由もないのだから。

 ふと隣を見ると彼女はこちらを見ていた。
「明日はね、手紙を取り出す日でもあるんだよ。あなた、わたしの代わりに取ってきてくれない?」
「オレが?」
「わたし、えとうめいこ」
 そういって、彼女は漢字で江東芽衣子と書くのだと、名前を教えてくれた。

 これがウワサの脱出口だろうか。
 オレはキツネにつままれた気分で帰って行った。
 手紙を封入するイベントは10年に一度しかない。
 つまり、タイムカプセルから手紙を取ってきてくれというからには、少なくともその時から10年が経過しているはずだ。
 いくら若く見えると人だといっても、彼女は十代にしか見えなかった。
 年を取らない彼女はやっぱり幽霊?
 学校をやめるのは彼女の願いを叶えてからでもいいかと、二学期の初日を迎えた。



 校門をくぐって屋上を見上げる。早朝からたむろしているもの好きはいなかった。
『開校100周年』
 デカデカと横断幕が校舎に掲げられているのが目に留まっただけだ。
 夏休み明けの始業式と共に式典が行われる。10年毎にやっている恒例イベントもあるので、卒業生とおぼしき関係者も結構来ていた。

 滞りなく式典が終わり、タイムカプセルが開封された。グラウンドにブルーシートが広げられ、10年前に書かれた手紙がクラスごとに積み上げられた。
 そういえば学年もクラスも聞いてなかった。
 江東芽衣子の手紙を探し当てるのは難儀だった。

 10分ぐらい探し回って封書に彼女の名前が記されているのを見つけた。丸みを帯びた女の子らしい文字だ。
 それを拾い上げようとすると、すぐそばにもう一つ彼女の名前が書いてある手紙が目に留まった。
 彼女は何通も書いたのか、全部で4通もあったのだった。
 見比べてみると、どれも筆跡が違うように思う。別々の人間が書いたのだろうか。

 そのうちの一通の封がはがれていて、なおのこと中身が気にかかった。
 人宛の手紙をこっそり読むなんて悪趣味もいいとこだが、彼女が何者なのかどうしても知りたかった。
 周りを見れば自分に関心を示しているやつはいない。
 思い切って手紙を広げた。

『あなたを無視していたことが一番の思い出です。楽しい時間をありがとう。』

 血の気が引いた。
 鼓動が耳鳴りのように全身に響いて胸が苦しくなる。
 わけがわからない。
 なぜこんな手紙が。
 もはや恥も外聞もない。残りの手紙も開封していった。

『いま、この手紙を読んでるってことは、10年後も生きてるってことだね。しぶといなぁ。ちょーめいわく。』

『友達だって勘違いしちゃった?バッカじゃない。たぶん、10年後はあなたのことなんて忘れてる』

『どんなツラしてここにいるの?クラス会長はあなたに押しつけただけだからしゃしゃり出ないでね。いじめられてるくせして皆勤賞とかウザイから』

 こんな内容、本人が書くわけがない。
 誰かが江東芽衣子に宛てて書いたのだ。
 だれだ。だれなんだ。
 4人の悪意が押し寄せて破裂しそうだった。
 過去からやってきた江東芽衣子への攻撃が色あせもせず向かってきていた。
 その誰もが10年後を想像もせずにその時の勢いのままで筆に乗せている。
 いくらなんでも10年後には愚かさに気づいていてほしいが、自ら手紙を回収して処分する勇気は持ち合わせていなかったらしい。
 江東芽衣子はそれを見越してオレに回収を頼んだのだろうか。
 こんな手紙、どう間違っても親の元へ送られたくはない。
 オレはポケットに手紙をねじ込んだ。



 暦の上では残暑の季節だが、真夏の暑さが容赦なく照りつけた。
 まぶしさに目を細めて彼女と出会った外階段のほうを見やる。
 この炎天下、なにをしているのか最上部に人影が見えた。
 江東芽衣子しかいないだろう。

 汗だくになりながら上ると、彼女は待ってたよと、やっぱり微笑んでいた。
「きみはあの日から、ずっとそうやってここにいるんだよね」
 真相を聞き出そうとすると、あの日かぁ……と、彼女は口の中で小さくつぶやいて目を伏せた。
「あなたが持ち出してくれた手紙のことがずっと気にかかってたみたい」

 オレは4通の手紙をポケットの上から押さえた。
 彼女は中身を読んでいなくても大方想像はつくのだろう。
 こんな手紙がまさに亡霊のように人の手を渡り歩いていたら……想像するだけでゾッとする。
 もちろん、彼女にだって読ませたくはない。
 黙っていると、彼女はぽつりぽつりと自分のことを語った。

 ――わたしは、ずっとあの日が来なければいいと思ってたの。
 クラスの子たちからずっと無視されてて、教室の中にはひとがいっぱいいるのにいつもひとりだった。
 だから、ある女の子からタイムカプセルに入れる手紙をお互い宛てに書こうよっていわれたときはすごくうれしかったの。
 ふたりだけの約束ねっていわれて、指切りげんまんまでして。
 だってわたしと関わっていたら、その子も同じ目にあうかもしれないから、黙っているのは当然だと思ったの。

 なんて書こうかなって一晩中考えて、次の日学校に行ったら、今度は別の子に同じこと言われて。
 断ることなんてできなかった。
 そしたらまた次の日も別の子が……。
 そのうちばれちゃって……ううん、違うわね、はじめから仕組まれてたんだよ。

 わたしのこと裏切ったの?って責められて。
 そうやってあっちこっちで媚び売って最低ねってののしられて。
 誰かひとりに決めなさいよって迫られて。

 決めることなんてできなかった。
 できるわけないじゃない。
 わたしは誰とも深い付き合いになかったんだもの。
 誰かひとりなんて決められない。

 だから、タイムカプセルを埋める『あの日』が永遠に来なければいいと思ったの。
 だから――

 ……だから、永遠にその日が来ない方法を見つけた。
 彼女だけ、永遠にその日は訪れなかった。
 それから、彼女の『時』はまったく進んでいない。
 彼女の『時』は止まり、友人たちの『時』は10年が経っている。
 きっと、彼女宛の手紙を書いた4人はとっくに手紙のことなんて忘れて平然と――

 ふと、おかしなことに気がついた。
 この手紙。
 江東芽衣子が前日に階段から飛び降りたのなら、さすがにこれを書いた者たちはこの手紙をタイムカプセルに入れたりはしないはずだ。
 江東芽衣子の元へ届かないことは知っている。
 別の人の手に渡り、原因は自分たちだと特定されてしまうのだから、むしろ捨てるだろう。

 散切り頭だけど、朗らかに笑っている彼女を見つめる。
 目の前にいる彼女は本当に江東芽衣子なのだろうか?
 逆に江東芽衣子がいじめていた少女をここから……
 妄想を断ち切るように頭を振る。

「実は――その手紙」
 彼女は手すりから地面をのぞき込んで淡々と口を開いた。
 真実を知りたくないような思いにかられる。

「前日にもらってたの。そんな手紙、タイムカプセルに入れられないものね。ほんの少し期待して一つだけ読んでみたけど、やめておけばよかった」

 やっぱり、彼女は江東芽衣子?

「その手紙は全然関係ない子たちにタイムカプセルに入れるように頼んでおいたの。明日はたぶん来られないからって。きっとその子たちはわたしが何かを告発しているとわかってくれたんだと思う。でもなにかをする勇気もなくて、タイムカプセルに封じたのね」

 くるっと彼女が振り返る。
 全部嘘じゃないかと思うほどまぶしい笑顔でオレに視線を送る。
 オレに、オレになにをしてほしいというのだ?

「あなたならわかってくれるでしょ? 手紙を書いた本人に返してほしいの。そうしないとわたし、浮かばれないと思わない?」

 屋上の幽霊は適任者を探していたのだった。
 恨みを晴らしてくれる人を。
 あの時死んだのは、あたなのせいなのだと、思い知らせてくれる人を。