たとえ世界に誰もいなくなっても、きみの音だけは 忘れない

 穏やかな寝息が響くのを確認して、蓮と雛子はなんとなく身体の力を抜いた。
 音をたてないように気をつけながらソファへと移動し、二人向かい合って座る。

「今、詩音を一人にしたらだめだと思う。すごく思い詰めてるみたいだし」 

 うつむきながら、雛子が小さな声でつぶやく。抑えた声なのは、詩音を起こさないようにと気遣ってのことなのだろう。
 雛子の言葉に蓮もうなずいて、歩道橋でのことを軽く説明する。ある程度予想はしていたのか雛子の表情に驚きはなく、沈痛なため息を落としただけだった。

「ありがとね、蓮。このまま詩音が見つからなかったらどうしようかと思った」

 囁くように言われ、蓮は黙って首を振った。

「俺たちには、何もできないのが歯痒いな。詩音ちゃんの辛さだって、きっと本当に理解することはできてないんだろうなって」

「それでも、詩音は蓮がそばにいてくれたら安心するんだよ。蓮の存在が、蓮のピアノが、詩音の支えになってるんだよ」

「うん」

 小さくうなずいて、蓮はベッドで眠る詩音の方へ視線を向けた。窓から射し込んだ月明かりが、穏やかな寝顔を白く照らしている。


 その時、軽いノックの音と共に相馬が顔を出した。詩音の捜索のあと、やり残した仕事を片付けてきたらしい。

「詩音、今寝てるの」

 静かに、と唇に指先を当てて、雛子が相馬を迎え入れた。以前よりも雛子と相馬の距離感が近いような気がして、蓮は内心でもしかして、と少しだけ心が躍る。目覚めた詩音も、二人の関係の変化に気づくだろうか。

 そんな蓮の思いに気づいたのか、それとも多少騒がしかったからか、詩音が小さくうめいて目蓋を震わせた。
 三人は慌てて口を抑えるものの、詩音はゆっくりと目を開けた。

「ごめん、起こしちゃった?」

 雛子がベッドサイドに駆け寄ると、詩音は身体を起こしながら笑顔を浮かべる。

「ううん、大丈夫。少し寝たらすごくスッキリしたぁ。蓮くんも、遅くまでごめんね」

 笑いかけられて、蓮は大丈夫だという気持ちを込めて首を振った。

「ちょっとお腹空いてきちゃったな。売店に何か買いに行こうかなぁ」

 ベッドから下りてうんと伸びをした詩音は、雛子のうしろに立つ相馬を見て怪訝な表情を浮かべた。

「え、と……。ヒナ、うしろの人は……、誰?」