たとえ世界に誰もいなくなっても、きみの音だけは 忘れない

「ねぇ、もっと弾いて」

 ねだるような詩音の視線に、蓮は一瞬どきりとする。美少女の上目遣いは破壊力が抜群だ。
 少し熱を持った頬はピアノを弾いて体温が上がったからということにして、蓮は時計を見る。
 時刻は間もなく正午。午後には検査があると言っていたし、そろそろ昼食の時間だろう。

「でも、午後から検査があるって」

 その言葉に、詩音は小さく唇を尖らせた。そんな表情も可愛いと思わず見惚れかけて、蓮は慌てて視線を逸らす。

「……そうだね、そろそろ戻らなきゃ。でも、蓮くんのピアノ、もっと聴きたかったのになぁ」

 心底残念そうに詩音がつぶやくから、蓮も何だか悪いような気がしてくる。

「じゃあ、また……今度、とか」

 恐る恐るそう言うと、詩音は弾かれたように顔を上げた。

「いいの!?」

「う、うん」

 また会えるかもしれないという下心込みだったので、少し罪悪感を覚えつつも、詩音があまりにも嬉しそうに笑うから蓮も嬉しくなる。きっと彼女は蓮のピアノに興味があるだけなのだろうけど。

「あぁごめん、今ここじゃ先の検査予定が分かんないや。部屋に戻れば分かるから、一緒に来てくれる?」

「えっ」

 今日会ったばかりなのに、病室にまで行ってもいいのだろうか。思わず言葉に詰まる蓮を見て、詩音は真面目な表情で首を振った。
 
「また今度、なんて曖昧な約束はしたくないの。忘れてしまったら、困るから」

 先程までの明るい表情が嘘のように、詩音は目を伏せてつぶやく。理由は分からないものの、そこまで蓮のピアノをまた聴きたいと思ってくれるのなら、断る気はない。

「分かった。俺も予定とかあるし、お互い都合のいい日を合わせよう」

「うん。ありがとう」

 顔を上げた詩音は、また明るい笑顔を浮かべていた。だけどどこか陰を感じさせて、蓮は内心で小さく首をかしげた。