3000歩後ろで、君だけに響く愛の音を

「アイトくん、ずっと好きでした!」

 
 3000歩。
 
 私と彼女には3000歩の差がある。
 
 
「ありがとう、僕も好きだよ」
「きゃー、ありがとうございますぅ!!これからも応援してます!!!」
「うん、今日は来てくれてありがと…! じゃあ、また来てね」
「はい!!! もちろんです!!!!」
 
 
 愛音(アイト)、有名歌い手グループのピンク担当。個人活動は9年目の27歳。

 “全てを包む愛の音”とまで評される天使のような柔らかい声が特徴。ショタボと言うには大人っぽい声ではあるが、可愛らしさも持ち合わせている。神か。いや、神だ。


 得意な曲のジャンルは、弾けるようなアップテンポの明るい曲。

 自身の強みを最大限に活かしたオリジナル曲には、日々元気を貰っている。歌ってみたでは、自身の新たな魅力を引き出すべく、様々な種類の曲を投稿してくれている。努力家なところも本当に好きだ。最近は、しっとりとした失恋ソングがマイブームらしく、歌枠の配信でも度々歌っている姿を目にする。アイトくんが歌うと、どんなどす黒い感情のこもった曲も、ピュアで一途なものに聴こえてしまうから不思議だ。声にも表れてしまう、純粋さがまた愛おしい。この笑顔、守りたい。グループでは、個人の活動では見ることの出来ない、かっこいい曲も歌っている。この前出た新曲のラップパートの歌詞は、アイトくんが作詞したそうだ。歌が上手いだけじゃなく、自分で作ることも出来るなんて凄すぎる。控えめに言って、ただの天才である。そして!このラップがまた良いんですよ!!死ぬほどかっこいい心臓5万回は撃ち抜かれた。メンバーとの掛け合いで出てくる煽り文句最高。この口調で毎日罵られたい。

 …ここまで長々と述べてきたが、要するに私が愛してやまない推し様である。
 

 私が彼を知る最初のきっかけは、冒頭でアイトくんへの愛を叫んでいた彼女だったりする。

 小学校時代からの親友。アイトくんを活動開始当初から推していた猛者だ。

 半年前、長年にわたって推していたアイトくんのファンを降りたと言っていた。二次元にハマったらしい。

 
 それでも、1人じゃ心細いからと握手会に誘ったら、ホイホイと付いてきてくれて……このザマだ。
 こうなることは予想がついていたが、都合の良い奴である。
 

 親友の「好き」は心からの言葉じゃない。

 それでも、彼女が、もうアイトくんを推していなかったとしたって、彼女の言葉はアイトくんからすれば本物なのだ。
 





 3000日、つまり8年と78日。

 アイトくんが活動開始してから、私が推し始めるまでの日数だ。

 親友がアイトくんを降りるのと、私がアイトくんを推すようになったのは大体同じ頃だったから、彼女が私よりもアイトくんを知っていた期間とも言える。


 どれだけもがいても、どれだけ足掻いても、どれだけ願っても、親友と私の距離は永遠に縮まらない。


 かつての配信のアーカイブは残っていない。

 有名になってからのものであれば、大勢いるファンのうち、1人くらいは何らかの切り抜きを投稿している。ありがとう、人海戦術。

 
 ただ、8年前まで遡るとどうだろうか。まだ配信の視聴者が2ケタだった(親友曰く)頃の配信は、ほとんど残っていない。

 かつて親友から散々に全力☆推し語りされたこともあったが、適当に聞き流していたので、無論覚えていない。
 当時のアイトくんの言葉を、今さら彼の声で受け取ることは不可能なのだ。


 切り抜きがあっても、フルバージョンはきっと聞けない。昔のアーカイブは残ってない。私の知らない時代の彼の軌跡には触れることすら叶わない。ないもの尽くし。

 
 これから、10年後や20年後、私がアイトくんを推してきた年月が、親友の8年を上回ろうとも。その8年の差は取り戻せない。
 私は、常に親友(古参)の3000歩後ろにいるのだ。


 
◇◇◇



 半年後、私は再びアイトくんの握手会に来ていた。

 アイトくんを推し始めてから、今日でちょうど1年。私にとって、アイトくんの誕生日の次に大事な記念日だ。


 前回、隣にいた親友はいない。だって、なんかムカつくじゃないか。既にアイトくんを降りているのに、本人の前でだけファンみたいに振る舞って。

 今、視界を埋め尽くすピンク色の山にも、気分が悪くなりかけている私は、この場に親友がいたら耐えられなかったと思う。

 

 あの子も、そっちの子も、みんな、みんなピンク色。アイトくんの色。
 

 髪はくるっくるに巻いて、リボンやらピンやらエクステやら、ありとあらゆるところまでピンク一色だ。

 この日のためだけに買ったであろう、ふりふりの洋服はもちろんピンク。メイクもバッチリ。悔しいことに、みんな私の数倍は可愛かった。
 
 
 肩にかけているトート型の痛バを、時折大事そうに眺めては、頬までピンク色に染める彼女たちを前に、平常心でいられる訳がない。
 ついでに、向こうにいる子の痛バに大量に留められた缶バッチは、私が欲しくても在庫切れで買えなかった柄だ。


 羨ましい。というよりは憎らしい。恨めしい。


 
 握手する時、「精一杯」の領域を越えるほどに着飾った彼女たちを見て、アイトくんは口元を緩めるのだろうか。

 それ、この前の僕の誕生日記念の缶バッチだよね、ありがとう──なんて、言いながら満面の笑みで……ああ、もうこれ以上考えたくない。
 

 誰もが浮かれる推しの握手会。
 ひとり悶々としていた私の思考を遮ったのは、無機質で、事務的な言葉だった。

 
「では、次の方どうぞ」


 …いや、病院の呼び出しかよ。

 兎にも角にもスタッフさんの声に導かれ、私は君に会いに行く。
 
 前の握手会の時、私はすっかりリア恋勢になってしまった。
 だって、あれは不可抗力だ。
 
 大好きな推しが目の前に居て、手を繋いでくれて。
 私のとは重さが違うけど、好きって言ってくれて、眩しいくらいの笑顔を間近で浴びて…。
 
 
 無理無理。

 リア恋になれと言っているようなものだ。


 アイトくんを、全ての意味で好きになってから、それはそれは辛かった。

 
 毎日配信がある訳じゃないし、リアルで会える機会なんてなかなかないし。

 でも、毎日SNSは更新されるし、その度好きになるし。

 やっぱり3000歩の差は消えないし、アイトくんは人気だし。


 何より…、こんな同担拒否のファンを、心から歓迎してくれる推しなんて居ないだろうから。

 
「こんにちは! 君のお名前、教えて欲しいな」
「あいね、です。愛に音って書いて」
「わぁ、僕と同じ漢字!?? え〜、こんなこともあるんだ」


 それが、私とアイトくんの原点だったんだよ。
 親友が、アイトくんを見つけたきっかけ。


 愛音くんを好きになって、私は自分の名前を好きになれた。
 

「あの、私、アイトくんを推すようになってから、その、毎日が楽しくなったんです」
「嬉しい。伝えてくれてありがとう」

 
「だから──、もっと早く出会いたかったです」

 
 
「…あいねちゃん」

 大好きな優しい声が、私の名前を呼ぶ。
 何かを必死に伝えようとする、私が恋した声だ。

 
 歌い手としての遠くにいるアイトくんじゃなくて、私の目の前で手を握っていてくれる愛音くん。

 この瞬間の愛音くんは、きっと世界で私だけのもの。


 
「はい」


「僕は、あいねちゃんが僕を見つけてくれた日のことも、好きになってくれた日のことも、全部大切にしたいな」


 アイトくんを推して、辛いことだって沢山あったよ。

 それでもね。


「些細なきっかけは、他の人から見たらきっと何でもない、あいねちゃんだけに届くものだよ。その何かに気づいてくれたからこそ、僕は今、こうしてあいねちゃんと会えたんだと思うから」



 私の消せない3000歩も、何もかも全てを肯定してくれる君が居るから、苦しいんだ。

 ……ううん、愛音くんに出会えたから、私はこの先も永遠に幸せなんだ。

 
 だから、何度だって伝えさせて欲しい。


「アイトくん、大好きです」
「僕もだよ」


 その滲んだ笑顔に、私は2度目の恋をした。