振動がまったく伝わってこない。
 乗り心地がよすぎるのは、高級な車だからなのか。
 誠也達が乗っている車は、リムジンという未知なるもの。

 音が静かで揺れも少ない。
 本当に動いているのかと錯覚するほどであった。

「リムジンって初めて乗ったけど、乗り心地が最高だよね」
「ホントねー、西園寺さんってもしかしてお嬢様だったりするの?」
「当たり前に決まってるよ。姫は気高くて美しい最も尊い存在なんだから」

 得意気に話すのは萌絵。
 まるで自分の事のように推しである瑞希を自慢している。瑞希について知らない事はないと自負するほどで、ドヤ顔を瑠香に向け勝利宣言をする。

 だが本当の勝利は誠也の心を奪うこと。
 アピールしながら待つのがいいのか、もっと積極的いくべきかは悩みどころ。
 偽りだと知った今、誰にも遠慮する事などない。悪魔がそう萌絵に囁いてきた。

「へぇー、お嬢様とかマンガの世界だけかと思ってたよ。でも、喋り方とかはそれっぽいよねー」
「それっぽいじゃなくて、お嬢様なんだからっ」

 推しをバカにされた気がし、萌絵はつい声を荒立ててしまう。
 もちろんの事だが、瑠香にそんなつもりはなくただ驚いただけ。
 現実世界のしかも身近にいたなど、幸運と言っていいものか分からなかった。

 聞きたい事はたくさんある。
 瑠香にとってお嬢様の世界は未知なるもの。
 瞳を輝かせながら瑞希に質問しようとしていた。

「西園寺さん、質問があるんだけどいいかなっ?」

 萌絵のツッコミを軽くスルーする瑠香。
 もはや眼中になく、頭の中は未知の世界の事でいっぱいだった。

 イメージしているのは華やかな世界。
 セレブという響きのいい言葉に酔いしれ、瑠香の心はここにあらず。
 ひとりだけ別世界に旅立っていると、瑞希からのひと言が現実世界へと引き戻した。

「質問をするのは構わないけど、とりあえず元の世界に戻ってきてくれないかしら」
「あっ、ご、ごめん。えっとね、お嬢様となると、フィアンセとか親が勝手に決められたりするの?」

 想定外の質問に瑞希は固まってしまう。
 答えるのは簡単だが、どう答えればよいのかは悩みどころ。
 下手に勘ぐられたくない──とはいえ、ウソをつけばボロが出るのは確実。

 本当は隠しておきたかった。
 この質問を素直に答えれば、カンがよくなくても気づくであろう。
 だがそれでも瑞希は、誠也にだけはウソをつきたくないと思い、ありのままを話そうとした。

「そうね、 親の都合で決められたりするわ。本人の意思なんて関係なくね」

 どこか悲しげな顔であった。
 遠くを見る目は何を語っているのか、その場にいた者には理解できず、その心は瑞希だけが知っていた。

 だからこそそのトビラをこじ開けたい。
 瑞希の本心はどこにあるのか、本当に自分の推測通りなのか。瑠香は確かめずにはすられず、悪いと思いながらも土足でその領域に踏み込もうとした。

「それじゃ、西園寺さんにもフィアンセがいたりして」

 さすがに直球で聞くのはどうかと思い直し、冗談めいた口調で聞いてみた。

「……もちろん私にもいますわ」

 冷たく答える姿は氷姫そのもの。
 周囲の空気を一瞬で凍てつかせるほどの威力で、地雷を踏んだという言葉が瑠香の頭に浮かび上がる。

 これ以上踏み込むのは危険──色々と疑問があるが、この空気では聞くに聞けない。
 もし仮に聞けたとしたら、フィアンセがいるのになぜ偽りの恋人が必要なのか。その答えをどうしても知りたかった。

「でも、勘違いしないで欲しいわ。フィアンセと言いましても、私は認めていないの。ですから、形だけでいないのと同じよ。だから、安心していいのよ、誠也」
「どうしてそこで誠也が出てくるのよっ」
「あら、そんなの誠也が私の恋人だからに決まってますわ」
「偽りのねっ、偽りのっ!」

 瑞希の返事で張り詰めた空気が穏やかになり、瑠香がたまらずツッコミを入れる。あくまでも誠也と瑞希は偽りの恋人関係──それを強調せずにはいられなかった。

 そう、偽りだからこそ自分にもチャンスはある。
 勝手に偽りという言葉を外されるわけにはいかない。
 このクリスマスパーティーで今度こそ決着をつける。瑠香は固い決意を胸に刻んだ。

「さっ、着きましたわ。ここが……私の実家ですわよ」

 リムジンから降りると、そこには大豪邸が瞳に映る。
 夢の世界に迷い込んだように錯覚させ、誠也達はその圧倒的存在感に固まってしまう。

 想像を遥かに超えるお嬢様。
 たとえ偽りだろうと、そのような人と恋人関係なのが不思議に感じる。
 普通に生活していたら絶対に交わらない道であり、誠也は瑞希と出会えた事を感謝していた。

「入るのも躊躇しそうなくらいだよ」
「まさに圧巻だねぇー、お嬢様っていうのも納得しちゃうかな」
「あたしもお屋敷は初めて見たけど、姫のイメージにピッタリだね」

 それぞれ感想は違うものの、共通しているのは驚きを隠せないこと。
 おそらくクリスマスパーティーも、想像もつかないような規模に違いない。
 期待と不安が入り交じる中、大きなトビラがゆっくり開き、誠也達は未知の領域へと足を踏み入れた。

 巨大なシャンデリアが天井から吊り下げられ、出迎えるのは何人もの執事とメイドたち。
 ここまでくるとただのお嬢様ではなく、超お嬢様という言葉が似合う。
 今までに体験した事のない空間が誠也達を飲み込もうとする。

「そんなに緊張しなくていいのよ。さっ、会場へまいりましょうか」

 誠也の手を自然に掴む瑞希。
 本来なら瑠香が反論しそうではあるが、独特な雰囲気に気圧されてしまい、無言のまま萌絵と一緒に瑞希のあとに続く。

 数々の装飾品に目を奪われながら歩くこと数分、パーティー会場と思われるトビラの前までたどり着いた。

「ここが会場なのかぁ。なんだか緊張するなぁ」
「誠也、普段通りでいいのよ、普段通りで」

 瑞希が誠也を優しく包み込み緊張を和らげる。
 その温もりは氷姫とは思えないほどの心地よさ。
 ずっとこのまま──そんな事さえ思い始め、誠也は瑞希に身を委ね会場へ入ろうとする。

「ちょっと西園寺さん、私もいるんだけどー? 忘れないで欲しいかなっ」
「姫、その、あたしも傍にいていい?」

 瑞希と誠也だけの世界に割り込んできたのは瑠香と萌絵。
 忘れられてるのかと心配になり──という名目で邪魔をしたのが本音だ。
 特に瑠香はご機嫌ななめのようで、誠也をジト目で見つめていた。

 対して萌絵はというと、ふたりの邪魔をしたかったは同じだが、瑞希が羨ましかった。偽りとはいえ誠也と手を繋いでいる──代われるものなら代わりたいという気持ちが強い。
 だからこそ『傍にいてもいい』という言葉で、さりげなく誠也の近くにいようとした。

「そうね、人が多いから場所を決めてそこにいましょうか」
「瑞希は主催者側なのにいいの?」
「いいのよ、私は好き勝手にするだけですから」

 何か事情があるのだろう。
 誠也はそれ以上深くは聞かなかった。いや、聞けなかったと言った方が正しい。

 色々な想いが交差する中で、瑞希は会場のトビラをゆっくりと開ける。
 その先に見える光景はまさにセレブの世界。
 圧倒されながらも、誠也達は会場の中へ入っていった。