ずっと、君だけを好きだった。



「今年は本命が欲しいって言ったら、困るかな?」



ふたりきりの部屋に、自分の声が響く。



「え……ごめん、それってどういう意味……?」



君は戸惑いを隠せない様子で、少し声を震わせながら尋ねた。



「ひなのこと、好きだってこと」


「……え」


「ひなのこと、女の子として好きだよ」



驚く君の表情に、胸が苦しくなる。



やっぱりずっと、気付いていなかったのかもしれないけど。


ずっと、君だけを好きだった。



***



「りっくん、おはよう!」


吐いた息が白く染まる、2月の朝。

家を出て少し歩いたところで、背中から声をかけられて振り返った。


「おはよう、ひな」


赤いリボンのセーラー服に、白いマフラーをして駆け寄ってくるのは、幼なじみの女の子。

4歳の時に、母さんのやっているピアノ教室にひなが入ってきて、今が14歳だから、かれこれもう10年の付き合いになる。


「今日すっごい寒いね」


言いながら手袋越しに息をふきかける、その様子を見ながら、


「ちょっと緊張してる?」


俺が訊ねると「えっ」と、君は顔を赤くして、声を上げた。


「りっくんには隠しても意味ないか。……うん、緊張してやばくて、昨日あんま寝れてない」


「今年も無駄かもしれないのにね」と、続けて困ったように笑う君。


緊張の理由。それは今日が……14日だから。


「学校で渡す予定?」

「うーん、どうかな……タイミングがあったらと思って持ってきてはいるんだけど、学校じゃ難しいかな……」

「そっか」

「あっ、りっくんには学校終わってから渡しに行くね!」

「ありがと」


思い出したみたいに俺に向かって笑いかける君に、微笑み返す。



2月14日、バレンタインデー。

一年の中で、この日が一番嫌いかもしれない。


……だって君の本命は、俺じゃない。



親同士が知り合いで、ひなは4歳の時にうちの母さんのピアノ教室に入ってきた。

幼稚園こそ違ったけど、近所に住んでいるから同じ学区で、小学校からはずっと一緒。


いつから、何がきっかけか……は、正直覚えていない。



だけど気付けばずっと、君に恋をしていた。



そして、君は君で別の相手に、幼稚園からずっと一緒の幼なじみに、恋をしている。



君の好きな人は、俺もよく知っていて。

君の気持ちを知ってからは、自然と相談役となってしまっていた。


だから……今日が1年の中で、一番嫌いだ。


ただでさえアイツのことばかり考えている君が、今日はいつもよりももっと、頭の中がアイツのことでいっぱいになってしまうと分かっているから。


「ちなみに今年も手作り?」

「うん。今年は生チョコにしてみたよ。友達にも配るんだ」

「へー、女子は楽しそうでいいね」

「いやいや、りっくんこそ楽しいでしょ。毎年貰うチョコの数増えてない!?」

「そんなことないよ」

「えー、あるよー!」


話題を変に逸らすでもなく、核心に迫るわけでもなく、当たり障りのない話をしていると、あっという間に学校に着いて。



「藤沢くんにチョコあげようと思ってるんだよね」

「えっ、マジで?」


意図せず昇降口で聞こえてきた話声に、君は上靴を取る手を止めていた。


「……ひな、大丈夫?」

「あ、うん!ごめん」


こっちを向いて、思い出したようにパッと笑う君。

そんな姿に胸の奥が苦しくなりつつ、何か声をかけようと言葉を探していた……時だった。


「あのっ、空井(うつい)くん!」


横から割って入ってきた声。

見れば、去年同じクラスだった女子が、顔を真っ赤にして立っていた。

その手には、小さな紙袋。


「今、ちょっと時間いいかな?」


チラッと横目でひなを見ながら女子が言うと、


「りっくん、あたし先に教室行っておくね」


君は好奇心に目をキラキラさせながら、ほんの少し嬉しそうに俺に言った。


「じゃあ、また後でね」

「うん」


何の未練もなさそうに、ニコニコと笑顔で手を振って離れる君に、俺も手を振りかえす。



顔には笑顔を浮かべるけど……そんな君の姿はとても残酷で、本当は泣きたいくらいだ。

それでも──。





「あれ?どこか行くの?」

「あぁ……うん、ちょっとコンビニに」
 

夕方5時半過ぎ、少し長くなった陽が落ちかけた頃。

家を出ようとすると、ちょうどピアノのレッスンを終え、部屋から出てきた母さんに声を掛けられた。


「寒いから早く帰っておいでね」


そう見送ってれた母さんの言葉通り、外に出ると風がとても冷たくて、思っていたよりずっと低い気温。


小走りで急ぐ先は、コンビニとは逆方向。

立ち並ぶ住宅街の角を抜けて、その先にいたひとりの女の子。


「ひな」


俯いて制服姿で待つ君の姿を見つけた瞬間、俺は声を上げた。

すると君は顔を上げ、少し安心したように「りっくん」と名前を呼んでくれた。


「待たせてごめん」

「ううん、全然待ってないよ」


そう言って笑う君の鼻は、寒さのせいか真っ赤になっている。

きっと何十分も、下手したら時間単位で、今年も待っていたんだろう。

その相手は、もちろん自分じゃない。


「……どうだった?渡せた?」

「ううん、今年もやっぱダメだった」


「あはは」と、感情を誤魔化すように笑う君。

本当は聞かなくたって、少し落ち込んだような表情を見れば、分かっていた。

それなのに敢えて口に出させる自分は、つくづく酷い奴だと思う。

そして更に、今年も渡せなかったと聞いてホッとしている……なんて知られたら、きっと君に嫌われてしまうだろう。



「あっ、でも大丈夫だよ!もうさすがに、今年も渡せないだろうなって、半分諦めてたし」


俺に気を遣わせんとするように、身振り手振りを付けながら、明るく話す君。


じゃあ何で、今年もアイツに用意してんの?

……なんて意地悪に聞いたら、君はどんな顔をするんだろう。


「りっくん?」


なかなか口を開かない俺に、目の前の君は不思議そうに首を傾げる。


その姿が可愛らしくて愛しくて、たまらなく憎くて、いっそのこと傷付けてしまいたい衝動に駆られる、けど……。


「あ、いや、それ……渡せなかったチョコはどうしてんのかなって思って」


結局俺は、嫌われる覚悟なんか出来ていなくて。


「あ……これ? 帰ってから、自分で食べたりしてる」


「惨めだけど」と、付け足して苦笑する君に、


「……それ、俺が貰っちゃダメ?」


精一杯の言葉を投げかける。


「え……?」


目を見開いて、驚いた顔をする君を真っ直ぐ見ながら、ドクンドクンと自分の鼓動の音が大きく響く。


アイツに渡すことが出来なかったチョコレート。

もし、『いいよ』と言ってくれたら、自分の気持ちが少し報われる気がした。


だけど──。



「待って。りっくんにはりっくんのやつ、ちゃんと用意してるよ!」



手に持った紙袋の中から、ピンクの袋をひとつ取り出して、俺の前に差し出してきた君。


「中身は同じだから、これ貰って」


満面の笑顔で差し出されたそれに手を伸ばすと、『りっくんへ』と、丸っこい字でタグに書かれていた。



「……ありがとう」


俺が受け取ると、満足気に首をふるふると横に振る君。


嬉しい……はずなのに、苦しい。


「味の保証はしないけど、気持ちはいっぱい込めたから」


屈託のない笑顔で告げる君の言葉は、とても残酷だ。


だって俺が欲しいのは……義理(これ)じゃない。


どんなに気持ちを込めたと言っても、それは俺が欲しい気持ちじゃない。


俺が欲しくて欲しくてたまらない君の気持ちは、いつだってアイツのもので……。



「なんか急に恥ずかしくなってきちゃった。そろそろ帰ろっか」


陽が沈み込んでしまった空気は冷たく、とても寒いというのに、赤くなった顔をパタパタと手で仰ぐ君。


「美味しくないと思ったら、感想言わないでいいからね?……来てくれて、ありがとう」


「それじゃあ、また明日ね」と続けて、手を振った君。

そのまま家の方向へと、背を向けて歩き出そうとしたけど──。



「……ひなっ!」



気付けば俺は君を追いかけて、手を掴んで引き留めていた。


「え、りっくん?」


驚いた顔をする、君の目には涙が溜まっていて、俺を見つめる瞳がユラユラと揺れる。


──分かってた。

『大丈夫』なんて笑いながら、本当は全然大丈夫なんかじゃないこと。


何年も同じ相手に片想いして、毎年毎年チョコを用意して、なのに渡せなくて。

それで、大丈夫なわけがない。


泣きたいくらいに切なくて悲しい気持ちが分かるのは、俺も同じだから。


……知らないだろ。

毎年、楽しそうにバレンタイン商品を選ぶ女子達の姿を見るだけで、君を思い出して苦しくなること。

他の女の子がアイツのことを話してると悲しそうな顔をするのに、俺が女の子に呼ばれるとワクワクした顔をして……その落差に、落ち込むこと。

君以外の女子からのチョコは、全部断っていること。


君がアイツに恋をしているのと同じくらい、子どもの頃からずっとずっと、君だけを好きなこと。


──ぜんぶ、知らないだろ。


本当は今すぐ抱きしめて、素直な気持ちを伝えてしまいたい。

アイツのことでいっぱいな君の頭の中を、俺のことで塗り替えてやりたい。


気持ちが溢れそうになって、すっかり冷え切った君の手を、俺はぎゅっと握る。



「りっくん……?」



君が少し戸惑ったように、消え入りそうな声で名前を呼ぶ。



好きだと今すぐ伝えたい。

でも──。



「……俺はひなの味方だから」



静かに微笑んで、今年も俺は君に寄り添うフリをする。


都合の良い笑顔と言葉に、今にも溢れそうな気持ちを隠して──。





***






「今年は本命が欲しいって言ったら、困るかな?」



ふたりきりの部屋に、自分の声が響く。



「え……ごめん、それってどういう意味……?」



君は戸惑いを隠せない様子で、少し声を震わせながら尋ねた。



──あれから2年後の、バレンタインの前日。

今年はもうアイツに渡さないと、君が言った。


だから、もう我慢する必要はないと思った。



「ひなのこと、好きだってこと」


「……え」



今、子どもの頃から隠してきた気持ちを、やっと告げる。


この先にどんなストーリーが待っているかは分からない。

だけどこれはひとつの終わりで、始まり。




「ひなのこと、女の子として好きだよ」




これからはとことん、君が嫌だと言うまで、甘く伝えたい。



──ずっと、君だけを好きだった。