今日は、早朝から曇天だった。
灰色の雲がぶ厚く、日差しがない。そのせいか王宮の雰囲気がどことなく暗くて。
シャルロッテもまた、重い憂鬱感を抱いている。けれど原因は、天気のせいではなかった。
王宮の空き部屋で、いつにない破壊音が鳴り響く。
「これで、26個目か?」
インク瓶にペン先を入れ、スワードは問うた。
すると騎士団長のアルターが「27っすよ」と答え、「いや28じゃよ」と、軍医学者ムンテーラが答える。
(いいえ皆さま。今ので33個目です……)
割れた壺と男三人を前に、シャルロッテは赤々と茹った。
スワードの命令で、後宮に住まう事となったシャルロッテ。
国の兵力増強のため、シャルロッテの怪力体質を研究材料にしたいというのだ。その代わり、シャルロッテをか弱くする訓練を支援するという。
今日は、その前段として、怪力の程度を測定しているのである。いわば、怪力測定日だ。
測定方法は至ってシンプルである。
あらゆる寸法や重量の物を、シャルロッテに破壊させるのだ。
そこから怪力の強度と、軍事有用性を図る。
同時に、か弱くなる訓練の、必要費用を算出するのだ。
そのため、スワードのみならず、騎士団長アルターと、軍医学者ムンテーラも、測定に同席している。
シャルロッテの怪力を目の当たりにし、彼らは開いた口が塞がらなかった。
石像や花瓶や壺など、あらゆる調度品《《だった》》物で部屋が溢れかえる。
アルターが持参した、騎士団の甲冑や盾も御多分に洩れず、すべてが破壊された。
「100か」
「100っすね」
「100じゃ」
──凄まじきかな、怪力令嬢の大記録。
己の怪力ぶりに愕然とし、シャルロッテは瞳を閉じた。
男たちは、測定結果を控える。
スワードは破壊された物の種類と被害額を。
また、怪力発動の条件などを、羊皮紙に羽ペンで書き留める。
アルターとムンテーラは、破損部や重量を書き留める。そして、怪力が発動してから物が壊れるまでの速度を、推測した。
軍医学者ムンテーラは、見解を述べる。
「リミッター異常、じゃな」
ポマード固めの黒髪を光らせ、ムンテーラは得得と言う。
「リミッターとは、《《筋力を制御して身体を守る安全装置》》のことじゃ。人間の体は、常時100%の筋力でいると、壊れてしまう。だから、リミッターで筋力を制御して、体を守るのじゃ。しかし……」
「例外があるっす」
アルターが言葉を継いだ。
「人間は、《《マジで死にそうな状況になるとリミッターが外れる》》んすよ。ほら『火事場の馬鹿力』ってやつ、聞いた事ないっすか? あれです」
『火事場の馬鹿力』は知っている。
例えば、倒伏した重いタンスの下敷きになったとする。普段ならタンスを持ち上げられなくても、火事で死にそうな状況なら、1人で持ち上げて逃げられる。……という現象だ。
「生命維持のために、リミッターは解除される。んで、通常の倍以上の力が出るっつーわけです。まぁ、それでも、ある程度の力で制限されるんすけどね。普通は」
そう言い終わると、アルターは後ろ頭を、わしわしと掻いた。
──怪力令嬢以外は。
それは既知の事実で。けれど、改めて他人の口から聞くと、殺傷力のある言葉だ。
シャルロッテの背中を冷たいものが流れた。面色が見る見るうちに失せていく。
すると、設えられたロングソファに腰掛けるスワードが、長い脚を組み直した。そして断言する。
「そうだ、君は普通じゃない」
シャルロッテの目の前が真っ暗になった。
──王太子公認の普通じゃない女。
その名も怪力令嬢、シャルロッテ・シルト。
絶対に欲しくなかった、不名誉のトロフィーである。誰かに譲ってしまいたい。
(いいえ、きっと誰も貰ってくれないでしょうね……)
とどめを刺されたシャルロッテの眦に、涙が浮かぶ。けれど、続いたスワードの言葉が、それをぴたりと止めた。
「君ほど魅力的な女性はいない、という意味だ。男がこの世にいる限り、常に命の危機にさらされていると言っても過言ではない。そうだろう?」
「……はぇ」
シャルロッテは頭をもたげた。
──魅力的? 男がいると命が危ない?
スワードの言葉の真意を図りかね、シャルロッテは眉根を寄せる。返事の代わりに発した声は、間抜けに裏返った。
「シャルロッテ・シルト、ここへ来い」
スワードは、シャルロッテを隣に座らせた。そして冷たい小さな手を取り、柔らかな声音で言う。
「君の筋力のリミッターは、感情の昂りで解除されてしまう。そして解除後も、力が制限されないないのだろう。おそらく、これが怪力化の原因だ」
「わたしはどうすれば……」
──か弱くなって恋をするために、自分はどうすれば良いのだろう?
「簡単な事だ。リミッターをみだりに解除しないようにする。《《昂りをコントロールして怪力化を制御する訓練》》をすれば良い。君は、恋がしたいと言ったな?」
「はっ、はい! 恋が出来るようになるのなら、なんでも……!」
「では恋人になろう」
慮外の発言を聞き、シャルロッテは固まった。
スワードは、大真面目な顔をして言った。
「恋人になろう。わたしと」


