「嫌な思いをさせて申し訳なかった」

部屋に戻ると、翔が穏やかに芹奈に話しかける。

「いえ、大丈夫です。それにしても副社長、いつの間にアメリカ本社のCEOと連絡を?」
「最初に石津社長と電話で話したあとすぐにね。野生の勘というか、この人はちょっと信用出来ないと感じたから」

野生の勘?と芹奈は思わず苦笑いした。

「これでも結構当てになるんだ。案の定、食われそうになったし」
「食われるって、ふふふっ。あ、失礼しました」

芹奈は慌てて真顔に戻る。

「いや、こちらこそ牽制の為に君を引き留めて悪かった。しかも彼女と二人きりにさせてしまって……。本当にごめん」
「いいえ、その為の秘書ですもの。お役に立てたのなら嬉しいです。副社長、今コーヒーを淹れ直しますね」
「ありがとう。村尾が戻って来たら三人でCEOとの念書について話し合いたい」
「かしこまりました。では三人分淹れておきます」

お湯を沸かしてドリップコーヒーを三人分淹れたところで、村尾が戻って来た。

「お疲れ様。どうだった?石津社長の様子は」
「いやー、すこぶるご機嫌斜めですよ。男性秘書の方、しっちゃかめっちゃかに八つ当たりされてました」
「ははは!それはすまなかったな」

和やかな翔と村尾の雰囲気に、芹奈もホッとする。
ソファに座って三人で書類を広げた。

「月曜日の社内合同ミーティングで、この念書を公開する。用地取得の為のコンペでも、これを一番の武器にしたい。ニックナックが入っているかどうかで、ショッピングモールの価値が随分変わるからな。それにそのモールのすぐ近くに建設するマンションの価値も上がる。これも大きな強みになるだろう」
「そうですね。このお店にいつでも気軽に行けるとあれば、マンションの人気も上がります。せっかくですから、モデルルームはニックナックの家具や雑貨で揃えてみてはいかがでしょう?」

芹奈のアイデアに、翔も村尾も頷く。

「それいいな。村尾、マンションのチームで進めてくれるか?」
「かしこまりました。石津社長との今後のおつき合いはどのようにすればよろしいでしょうか?」
「そうだな。そこをきちんとしておかないと、今度は村尾が食われるかもしれないしな」
「あはは!私を食う物好きはいませんよ」
「ご謙遜を。とにかく村尾の操を守る為にも、石津社長に関してはきっちりさせておくから心配するな」
「ありがとうございます。俺も純潔を守りまーす」

村尾が両手で自分の身体を抱きしめながら身をくねらせる。
あはは!と二人で笑ったあと、翔は芹奈を振り返った。

「ごめんね、低俗な話で」

すると芹奈は真剣に首を振る。

「いいえ、副社長がご無事で何よりでした。村尾くんの操も大事ですし、私も用心して純潔を守ります」

ガタッと翔と村尾は思わず仰け反る。

「私、未だにビジネスの場でこのようなことが横行していることにショックを受けました。しかも男性ではなく女性側がこんなことをするなんて……。同じ女として大変申し訳なく思います。副社長が毅然とした態度を取ってくださって良かったです。私も重々気をつけ、自衛したいと思います」
「う、うん。そうだな。そんなことがあってはならない。先方の男性と二人きりにならないように、くれぐれも気をつけて。俺も何かあったらすぐに助けるから」
「はい、ありがとうございます」

真面目に話をするが、翔はまじまじと芹奈を見つめて考え込んだ。

(里見さん、村尾にそういう経験がないと思ってる?しかも、私も純潔を守るって……)

いかん!と慌てて考えを打ち消す。

「えっと、とにかく俺はもう一度ニックナックのCEOと連絡を取ってみるよ。今後何かあったら石津社長ではなく、まずはCEOにコンタクトを取って彼の指示を仰ごうと思う」
「承知いたしました」
「うん。えーっと、もう少ししたら向こうは朝のちょうどいい時間になるな。俺はこのままここで仕事をしようと思う。村尾は里見さんを自宅まで送って行ってくれるか?」
「かしこまりました。芹奈、行こうか」

村尾が立ち上がろうとすると、芹奈はためらってから顔を上げた。

「ごめん。村尾くんさえよければ、もう少しだけ私もここで仕事していいかな?月曜日の合同ミーティングで提出する資料、書き換えたくて。無理なら、明日出社することにする」
「明日?せっかくの土曜日に仕事することない。俺もちょうどいいから、一緒にここで資料を仕上げるよ」
「そう?ありがとう」

そして三人でカタカタとパソコンに向かった。