「ただ今戻りました」

軽井沢から静岡と神奈川を経由してアウトレットの視察を終え、社に戻った時には18時を過ぎていた。
社長に挨拶に行ってから、芹奈と村尾は秘書室に顔を出す。

「おかえり、芹奈、村尾くん。どうだった?視察出張」
「はい、たくさん見て回れて収穫もありました。これ皆さんにお土産です。よかったら今コーヒー淹れますね」
「わーい、ありがとう!早速いただきまーす」

デスクにお菓子を置くと、コーヒーを取り出して芹奈は給湯室に向かった。
すぐあとから井口がついて来る。

「里見さん、お手伝いします」
「井口くん、ありがとう。社長秘書もありがとね。何か変わったことはあった?」
「いえ、特には。また細かい点はのちほどお伝えします」
「うん、分かった。あ、そうだ!井口くんにはみんなとは別に和菓子のお土産があるの。それがね、副社長から直々に井口くんにって」

はい?と井口は首を傾げる。

「どうして副社長が僕なんかに?どういう流れでそうなったんですか?」
「えっとね。村尾くんと私で秘書室のみんなにお土産を選んでたの。で、私はいつも井口くんに代理で仕事をしてもらってるから、私から井口くんに和菓子を買おうとしたのね。そしたら副社長が、俺から井口くんに買いたいって。きっと井口くんが優秀だからじゃない?社長もそう言ってたし、それを副社長も聞いたのかもね」

そう言ってコーヒーのパッケージをじっと読み始めた芹奈に、井口は何かを考え込んだ。

「里見さん」
「ん?なあに?」

お湯をゆっくり回し入れて、五分蒸らす、とコーヒーの淹れ方を読んでいた芹奈を、井口はいきなり抱きしめた。

「えっ、ちょっと、井口くん!?」

芹奈の手から、コーヒーのパッケージがポトリと落ちる。

スリムな体型だと思っていたが、井口の身体は意外とガッシリしていて、芹奈はすっぽり井口の胸に収まっていた。

抱きしめられて初めて井口の男らしさを感じ、その力の強さに芹奈は声も出ない。

「何があったの?副社長と」

普段よりも低い声で尋ねられ、芹奈はかろうじて返事をする。

「え?何も……」
「副社長、俺のことを牽制してる」
「は?どういうこと?」

井口の力はますます強くなり、芹奈はなんとか逃れようと身をよじった。

「井口くん、離して。ここ会社……」
「里見さん、答えて。俺と副社長、どっちが好き?」
「な、何を言ってるの?とにかく離して!」

思い切り胸を押し返すと、ようやく井口は腕を解く。

芹奈は急いで後ずさり、息を整えた。

「井口くん、こんなこと二度としないで。私、怖かった……」

弟のように思っていた井口の強引な態度に、芹奈は驚くと同時に力の差をまざまざと感じていた。
力では絶対に敵わない。
涙目になる芹奈に、井口はハッと我に返る。

「ごめんなさい、俺、つい……。本当にすみませんでした」

深々と頭を下げる井口は、いつものよく知る井口だった。

ようやく気持ちが落ち着き、芹奈は落ちていたコーヒーのパッケージを拾い上げる。

「コーヒー淹れて、早く戻ろう」
「はい」

二人でトレイにカップを並べていく。
その様子を離れたところから、村尾が複雑な表情で見守っていた。