「村尾くん、私のおしゃべりで気疲れしてしまったのかもしれません。申し訳なかったな」

歩き始めた芹奈は、翔にボツリと呟く。

「交代して、次は私が運転しますね」
「いや、そんな。それなら俺が運転するよ」
「いいえ、だめです。副社長は社会的にも地位のある方ですよ?万が一事故にでも巻き込まれた時、ハンドルを握っていたのが副社長か私かでは大きな差があります。その為の秘書ですよ?」

そうだけど……と翔は視線を落とす。

「それより副社長。帰りにあのキッチンカーのホットサンド買って行きませんか?」

店頭のブラックボードの手描きメニューを見て、芹奈が足を止めた。

「ああ、いいね。そうしよう」
「はい!このバーベキュービーフのサンド、村尾くん好きそうだな」

そう言って微笑んでからまた歩き始めた芹奈に、翔は思い切って尋ねる。

「君と村尾とは、どういう関係なの?仲良さそうだけど、つき合ったりはしないの?」
「しないですね。村尾くんは私にとって、何でも話せる同期で、戦友で、ちょっとお兄ちゃんみたいに思う時もあります。ふふっ、言ったら怒られそうなので内緒ですよ?」

人差し指を立てて、にこっと笑いかけてくる芹奈に、翔は思わず頬を緩める。

「君は、恋愛には興味ないの?」
「んー、ないですね。私、器用ではないので、誰かと恋愛したら仕事が疎かになりそうで怖いんです」
「怖い?」
「はい。注意力に欠けてミスしちゃったり、デートの時間を気にして慌てて雑に済ませてしまったらどうしようって。何よりもまずは、仕事を大事にしないといけないですよね?」

翔はしばし考え込んでから口を開いた。

「人間だから誰でもミスはする。それをカバーし合う為に仲間がいるんだ。君にも秘書室のみんながいるだろう?それに俺は社員に、会社に尽くして欲しいとは考えてないんだ」
「え、そうなのですか?」
「うん。一生懸命仕事に打ち込んでくれたら嬉しい。だけど己を犠牲にしてまで尽くして欲しくはない。俺が望んでいるのは、社員の一人一人が神蔵不動産で働くことによって、自分の人生を豊かに実りあるものにしてくれることなんだ」

人生を豊かに、実りあるものに、と芹奈は言葉を噛みしめる。

「ああ。ここでの仕事を通して、何かに打ち込み、仲間と力を合わせてやり遂げる達成感を味わって欲しい。仕事を楽しめ、って言われたら、そんなの無理って思うかもしれないけど。与えられた仕事をこなすだけではなく、自分で考えて自主的に仕事をすれば楽しさも感じられると思うんだ。それに人間としても成長出来る」
「確かに、おっしゃる通りです」

芹奈は大きく頷いてみせた。

「それに考えてみて。新卒から定年まで働いたとすれば、人生の半分ほどを神蔵不動産で過ごすことになる。そう思うと俺は、社員の皆さんに感謝の気持ちで一杯になるよ。そして幸せな人生にして欲しいと願っている。だから君も」

そこまで言って翔は芹奈に笑いかける。

「どうか素敵な恋愛をして欲しい。毎日を生き生きと輝かせて、幸せな人生を歩んでね」

芹奈は翔と視線を合わせ、心にその言葉を刻んでから「はい!」と頷く。

輝くような笑顔を浮かべる芹奈に、翔も優しく笑って頷いた。