「わーい、やっとランチタイム!午前中、ずっとソワソワしてたんです。井口さんの恋バナが聞きたくて!」

イタリアンのお店に着いてオーダーを済ませると、早速菜緒が身を乗り出した。

「で?誰なんですか?井口さんのお目当ての人って。社内の人ですよね?」
「うん、誰とは言えないけどね」
「そうなんだ!私も知ってる人かな?どんな人ですか?」
「多分知ってるんじゃないかなあ?優しくて可愛らしい人だよ」

そう言って井口は、チラリと芹奈に視線をよこす。
芹奈はうつむいたまま、心の中で冷や汗をかいていた。

(なんなのよー、もう。井口くんってば)

井口はどうやら、そんな芹奈の反応も楽しんでいるらしかった。

「えー!誰だろう。気になっちゃうなあ。芹奈さんは?誰か思い当たる人いますか?」
「ううん。ぜんっぜん分からない。あ、ほら。パスタ来たよ、菜緒ちゃん」

はい、これフォークね。紙ナフキンもどうぞ、とテキパキ菜緒に手渡していると、「あれ?」と頭上から声がして芹奈は顔を上げる。

「副社長!?」

慌てて立ち上がろうとすると、「ああ、そのままで」と手で遮られた。

「偶然だなあ。たまたまイタリアンが食べたくなって、村尾に案内されて来たんだ。な?村尾」
「そうですね」

能面のような顔で村尾が答えるが、翔はにこにことご機嫌だ。

「もしよければ、ご一緒しても構わないかな?この機会に、社員の皆さんと親睦を深めたくてね」
「もちろんです!」

菜緒が目をハートにしながら頷くが、四人席のテーブルでは椅子が足りない。

「副社長、仕方ないですよ。ほら、店員さんも案内してくれてますし」

村尾が翔を奥の空いているテーブルに促そうとすると、「あ、よかったらこのテーブルどうぞ」と隣の男性が声をかけてきた。

「俺達二人なんで、こっちの半分使ってませんから」
「ええー、助かります!ありがとうございます」

菜緒が満面の笑みで礼を言い、テーブルと椅子を寄せた。

「副社長、どうぞ」
「ありがとう。君、名前は?」
「はい!秘書室の松村 菜緒と申します」
「松村さんだね。君は?」

にっこりと翔が井口に笑いかけるのを見て、村尾は武者震いする。

(決戦の火蓋が切られる。いよいよ戦の始まりじゃー!)

翔に笑いかけられた井口は、負けず劣らずの笑顔で答えた。

「はい、同じく秘書室の井口と申します。初めまして、副社長。お目にかかれて光栄です」
「こちらこそ。井口くんだね、覚えておこう」

村尾の背中にツーッと寒気が走る。

(俺だけ?この異様な雰囲気が分かるのは俺だけか?バチバチと飛び散る火花は、君にも見えるかい?)

すると芹奈がそっと翔にメニューを差し出した。

「副社長、どうぞ」
「ありがとう。君は何を頼んだんだい?」
「私はラザニアです。ボロネーゼのペンネグラタンと迷ったんですけどね。どちらもお勧めですよ」
「そう。では私がそのペンネグラタンを頼むよ。シェアして食べよう」

ヒグッ!と村尾の口から妙な声がもれる。

「村尾、君はどうする?何でも好きなものを頼みなさい。松村さんと井口くんも、デザートは何がいい?ささやかだが、私からご馳走させて欲しい」

えー、いいんですか?と菜緒が目を輝かせた。

「もちろん。我が社の為に働いてくれる君達には、日頃から感謝しているからね。いつもありがとう」
「わあ、副社長からそんなお言葉をいただけるなんて。とっても嬉しいです!それにこんなに気さくに話してくださるなんて、もう感激です。ね?井口さん」

皆の視線が井口に集まる。

「そうだね。副社長なんて手の届かない雲の上の存在ですから、お話する機会なんてないと思ってました。僕達はこうやっていつも賑やかにランチしたり、毎日一緒に仕事をしてますけど。ね?里見さん」

ピキーン!と村尾は完全に固まった。

「うん、そうね。秘書室はみんな仲が良くて和気あいあいとしてるもんね」
「はい。僕も里見さんには、入社当時からずっと親身に指導していただいて、本当に感謝しています。里見さんのそばで仕事が出来て、僕は幸せ者です」

もはや村尾は石像のように動けない。
ただ時が過ぎるのをひたすら祈るばかりだ。

「そうだ、里見さん」

急に話の流れを変えるように、今度は翔が芹奈に話しかける。

「そのダイヤのネックレス、もう忘れていかないようにね」

は!?と芹奈は素っ頓狂な声を上げた。

「外す時には気をつけて。私も君が置いて帰らないように気をつけておくよ」

スーッと意識が遠くなる村尾。
目を見開いて仰け反る芹奈。
きゃ!なになに?と頬に手を当てる菜緒。
そして、口元に笑みを浮かべつつ目は笑っていない井口。

四人の反応を尻目に、翔は運ばれてきたペンネグラタンを取り皿に分け、芹奈の前に置いてにっこり笑った。