距離感ゼロ 〜副社長と私の恋の攻防戦〜

「も、申し訳ありません!」という声が聞こえてきた時、社長の隣で取引先の重役と名刺交換をしていた(しょう)も、顔を上げて振り返っていた。

社長に背を向けた秘書がスタッフの男の子と何やら小声で話している。

そしてそのまま、秘書と男の子は部屋の片隅のパーテーションの向こうに姿を消した。

「少し失礼いたします」

社長達に頭を下げてから、翔も二人のあとを追う。

パーテーションの中の様子をそっとうかがうと、責任者らしいスタッフも加わって、秘書に懸命に謝罪していた。

どうやら若いスタッフが秘書のドレスに赤ワインをかけてしまったらしい。

代わりのドレスの手配やクリーニングも断り、秘書はこのことをなかったことにするようだ。

顔面蒼白な男の子に優しく笑いかけてからパーテーションを出ると、秘書はすぐ近くのドアから廊下へと出る。

翔はすぐさまそれに続いた。

「どうするつもりだ?」

後ろから声をかけると、秘書は驚いたように振り返る。

「あ、副社長。どうかなさいましたか?」

ハンカチを胸元に当ててさり気なく隠しているが、ネイビーのドレスは不自然に色が変わっていた。

「どうかしたのは君だろう?そのドレス、どうするんだ?」

事情を知っているのかと言いたげに目を見開いてから、秘書はわずかに視線を落とす。

「クロークで荷物を受け取って、スーツに着替えます。会場には戻らず、駐車場に停めてある車の中でパーティーがお開きになるのを待ってから、社長をお迎えに上がります」
「パーティーはこれから始まるというのに?2時間も社長秘書が席を外すのか?」
「それは、その……」

翔は小さく息をつくと秘書の肩をグッと抱き寄せ、ドレスが目立たないよう自分の身体でかばいながら歩き出した。

「あの、副社長?どちらへ」

その質問には答えず、翔はスマートフォンを取り出し、自分の秘書である村尾に電話をかける。

「村尾、俺だ。訳あって社長秘書が席を外す。代わりに村尾が社長についていてくれ。頼む」

手短に通話を終えてスマートフォンをジャケットの内ポケットにしまうと、翔はそのままエレベーターに乗り客室へと向かった。