名も無き君へ捧ぐ


「だから、安心して生きていってください。もう死にたいなんて、思わずに。杏さんは杏さんのままで大丈夫です」


冬弥はコツンと自分の額を私の額に当てた。
おまじない。

きっと、姿が見える最後のおまじない。






ふわりと、風が纏う。



懐かしい温もりに包まれながら、眩しい愛しさを抱きしめて、2人はキスをした。


見つめ合うと、彼はにっこり笑った。
優しくてちょっと悪戯な、いつもの笑顔で。



「ありがとう。杏さん。大好きです」





そう声が聞こえたと同時に2人の間に強い風が吹き付けた。


ゴーっという低い風の音とともに、桜並木が一斉に揺れた。


瞬く間に花びらが散っていく。



気がつけば桜色の光の渦となり、自分の身体が浮かんでいるかのように、風に乗った花びら達が宙を舞っている。



「冬弥....?」


呼び掛けに反応がない。


「ユーレイ君?」


もう、彼の姿はここには無い。

声もしない。





頬を伝う涙をぬぐうように風が吹く。
止まらない涙に、何度も何度も吹き付ける。

花の香りだけがここに居る存在を語る。





「....ありがとう。素敵なプレゼントだったよ」


繋いでいた手を両手で握りしめ、声を振り絞る。



声は届いているだろうか。


聞こえているだろうか。






風が徐々に弱まると最後の花びらが、ひらりひらり、目の前をゆっくり舞う。


手のひらを差し出すとふわっと乗った。



まるで、それが返事のように。






「約束だよ。ずっと、見守って居てね」




最後にそう一言残すと、再び風に乗った花びらが空へ舞い上がっていった。


高く高く。




やがて蕾だけとなった桜並木の天井へと消えていったのだった。