名も無き君へ捧ぐ


「もう話さなくていいんで、寝てください」

「はぁーーい。おやすみユーレイさん」



そこから先はもう記憶が無い。


ただ、ずっと冬弥の存在は感じていた。


熱冷ましのシートを貼った訳でもないのに、額の辺りがひんやり気持ちが良くて、熱どころか重みも痛みも和らぐのが分かったから。



「ごめんなさい、杏さん。早く良くなりますように」


夢の中のことなのか、そんな声が聴こえた。



珍しい。
あいつから謝るなんて。


とても優しくて温かくて、イライラなんて吹き飛んで、大好きな気持ちだけがふわふわ浮かんだ。


それは心地よさに包まれる、不思議な幸せな時間だった。



このまま、人生終えてもいいのではないかとすら思える程だった。



だって、どうせ、好きになった人とは結ばれる運命には無いと、はっきり分かっているのだ。




せめてこの幸せな時間だけを切り取って、終わりにしたい。


こんなこと口にしたら........。


きっと、冬弥からこっぴどく怒られそうだ。
間違いなく、頭ごなしに怒るに決まってる。
小一時間なんてくだらない。
絶対そうだ。

うるさいんだろうな。

せっかくあのレシピ本のパンケーキ、作ってあげようと思ったんだけどな。



バレンタインのチョコだって........。







瞑った瞼から、涙が零れ落ちていた。