「仕方がないだろう。あんたの歩幅に合わせてたら夜が明ける」

 ものすごい言われ様である。
 私が特段歩くのが遅いということはないと思う。令嬢はみんなこんなものだ。

 人波をかき分ける様に、クリスはすたすたと歩く。

 周囲からの視線が針のように突き刺さってくる。とんだ注目の的だ。

 美男子に攫われるがごとく、夜会を後にする令嬢。
 私だって逆の立場なら目を奪われる光景だろう。

「そういうことじゃ、なくて」

 ぴたりと体が密着したら、衆人環視とは別の恥ずかしさも込み上げてくる。見上げるばかりだった端整な顔が、すぐ近くにある。
 これはいわゆる、“お姫様抱っこ”というやつだろうか。

 はじめてされた。あんなに小柄で華奢だった腕に、私は抱き上げられている。そして、これは不思議と嫌ではないのだ。

「じゃあなに」

「重たく、ない……?」

 最近ちょっと体重が増えた。理由は分かっている。
 クリスが時々持ってくるお菓子がいけないのだ。美味しいな、と思って食べて、自分でもまたそのお店に行って買ってしまって。
 そんなことを繰り返しているうちに、太った。仕立てたドレスが入らないほどではないけれど。

 青い目がちらりと私を見遣る。けれどそれは一瞬のことで、彼はまたすっと前を向いた。
 背中に回した手の位置を少し変えて、彼は私を軽々と抱え直す。

「振り落とされたくなかったら、肩か首に手を置いてつかまって」

 身を縮めるように胸の前で握りしめていた手を、肩に置いてみる。服越しに骨ばった感触が触れる。
 
 二人で並んで歩いていた頃、私達の影は同じように伸びていて変わりなかった。
 この肩はいつの間にこんなに広くなったのだろう。

 侯爵家の馬車に荷物のように担ぎ込まれたかと思うと、クリスは大きな音を立てて扉を閉めた。すぐに御者に自分の屋敷に向かうように告げる。

「あ、私、家に帰してもらったら」
「一人じゃ脱げないドレスを着たままで? その恰好で寝るの? ばかじゃないのか」

 確かに、このドレスは構造が複雑なので一人では脱げない。でも息を吸うようにばかだと言われると、さすがの私でもちょっとむっとする。

「……母上にも今日は連れて帰ってくるように言われてる」

 言い訳のように、クリスは言った。エステル様にまで言われていたらしょうがない。

「そもそもあんたが悪いんだ」

 整えられていた前髪をわしゃわしゃと崩すと、いつものクリスの顔に戻る。仏頂面が睨みつけてくる。

「私が?」

「オースティン男爵は、社交界随一の女(たら)し通ってるんだぞ。そんなやつにほいほい近寄っていくやつがあるか」

「ご、ごめん」
 一応、近寄ってはいなくて向こうが寄っては来たのだけれど。
 全然知らなかった。そんな人には見えなかったのに。

「それに、夜会では自分で手に取った物以外飲んだり食べたりするな。何か、薬とか入れられている可能性がある。常識だろ……」

 矢継ぎ早に叱られてなんだか自分か情けなくなってくる。
 二十二歳になって、私はものを何も知らない世間知らずだ。

 きっと、ちゃんとした令嬢は両親からそういった夜会の心得を教わるのだろう。
 けれど、私がそういうことを教わる前に、両親はこの世からいなくなってしまった。

「ごめんなさい」