レンガ横丁の『やんちゃ』はかつて大輝が晴也に説教した店で、今ではときどき雪乃と晴也も飲みに来るようになった。明鈴も何度か来たことがあるが、今日ためらったのは、ここには昇悟が毎日のように来ている、という情報を持っていたからだ。
そして実際、店の中には青年が一人いた。二十歳というと大人のイメージだったけれど、思っていたよりは少し若く見えた。
「今日はお客さん少ないですね」
「あれだよ、花火。あいつらも行ってんだろうよ」
店主が言う『あいつら』は、おそらく俥夫たちのことだ。知奈の両親も付き合い始めの頃、仕事終わりに花火を見るために大輝が車を飛ばしたと聞いたことがある。
「そっか、私たちも行ってきたんですけどね」
大人は全員が顔見知りのようで、明鈴は黙って大人の話を聞いていた。昇悟の隣に晴也が座り、雪乃を挟んで明鈴が端だ。昇悟の話には、主に晴也が相槌を打っていた。
「昇悟君は、いま何してんの?」
「いま、フリーターです……。高校を出てから、なんとなく大学に行ったほうが良いのかな、って思って行ってたんですけど、何をしたいのかわからなくなって……辞めちゃって」
「へぇ……」
「情けないですよね、親にお金出してもらったのに、生活費も」
「一人暮らししてたってこと?」
「はい。札幌に住んでました。辞めてからもしばらく残ってたんですけど、都会が嫌になってきて」
若いうちからこんなこと言ってたらダメですよね、と昇悟は苦笑した。テーブルに置かれたお酒のグラスには水滴が付いていた。中に氷は見当たらないので、出されてから時間が経っているらしい。
「こいつ、ほとんど毎日こんな話してるんだよ」
「バイト先でも頼れる人なんかいないし、夜ぐらい言わせてくださいよ」
「何のバイトしてんの?」
「パン屋です。駅前の」
昇悟のその発言には、雪乃が反応した。
「そこって、もしかして食パンが美味しいところじゃない?」
「あーそうです。いま、その食パン作る修行させてもらってます」
「それじゃ、今は進路が決まったってこと?」
再び晴也が聞いたけれど。
「いえ……。まだ自分に合ってるかわからないので、決まってません」
昇悟は氷で薄くなってしまったグラスを持ち上げた。そして少し揺らしてから、一口だけ飲んだ。毎日同じことの繰り返しは嫌だと言いながら、それでもほとんど毎日、ここへ来ているらしい。
小樽に戻ってきてから昇悟は、とりあえず実家へ戻った。しかし両親とも仕事で帰りが遅く部屋も空いていなかったので、近くのマンションで一人暮らしになった。相談に乗ってくれる人を探して、たどり着いたのがこの店だったらしい。
「戻ってきたときは、フルタイムの仕事を探したんですけど、なかなかなくて……。せっかく山の上から町を見て気持ちを入れ替えたのに……。あ、その帰りですよ、明鈴ちゃんを見つけたのは」
急に出た自分の名前に驚いて、明鈴は思わず昇悟のほうを見た。照れているのか酔っているのか、顔が少し赤い。
「昇悟君……そのバイトは、何時まで?」
「朝から入ってるので、昼までです」
「午後からは何か予定ある?」
晴也がどうしてそんなことを聞いているのか、明鈴はわからなかった。雪乃とは何か相談してあったのだろうか、二人で少し前のめりになっている。
「いえ、何も無いですけど……?」
「明鈴の家庭教師してもらえるかな」
「え?」
「いや、僕……勉強教えたことなんかないし……」
明鈴と昇悟が驚くのは、ほとんど同時だった。
高校までの成績も普通だったし、大学も特に良いところに行ったわけではないし、中退してしまっているし、他人に勉強を教えるような身分ではない。と昇悟は言うが、晴也は引かなかった。
「大丈夫、難しいこと教えてとは言わんから。まだ中学生やし、勉強の習慣をつけてもらえたらそれで良い」
「良いよお父さん、勉強くらい一人で」
「しないだろう、なかなか。テストで満点取れとは言ってない。机に向かう習慣を作れって言ってるんだ」
晴也が珍しくきつく言うので、明鈴は反抗するのをやめた。昇悟も断ろうとしていたけれど、晴也には頭が上がらないようで渋々承諾した。
明鈴が両親から昇悟との関係を聞いていない事に、昇悟も気がついたらしい。
そして実際、店の中には青年が一人いた。二十歳というと大人のイメージだったけれど、思っていたよりは少し若く見えた。
「今日はお客さん少ないですね」
「あれだよ、花火。あいつらも行ってんだろうよ」
店主が言う『あいつら』は、おそらく俥夫たちのことだ。知奈の両親も付き合い始めの頃、仕事終わりに花火を見るために大輝が車を飛ばしたと聞いたことがある。
「そっか、私たちも行ってきたんですけどね」
大人は全員が顔見知りのようで、明鈴は黙って大人の話を聞いていた。昇悟の隣に晴也が座り、雪乃を挟んで明鈴が端だ。昇悟の話には、主に晴也が相槌を打っていた。
「昇悟君は、いま何してんの?」
「いま、フリーターです……。高校を出てから、なんとなく大学に行ったほうが良いのかな、って思って行ってたんですけど、何をしたいのかわからなくなって……辞めちゃって」
「へぇ……」
「情けないですよね、親にお金出してもらったのに、生活費も」
「一人暮らししてたってこと?」
「はい。札幌に住んでました。辞めてからもしばらく残ってたんですけど、都会が嫌になってきて」
若いうちからこんなこと言ってたらダメですよね、と昇悟は苦笑した。テーブルに置かれたお酒のグラスには水滴が付いていた。中に氷は見当たらないので、出されてから時間が経っているらしい。
「こいつ、ほとんど毎日こんな話してるんだよ」
「バイト先でも頼れる人なんかいないし、夜ぐらい言わせてくださいよ」
「何のバイトしてんの?」
「パン屋です。駅前の」
昇悟のその発言には、雪乃が反応した。
「そこって、もしかして食パンが美味しいところじゃない?」
「あーそうです。いま、その食パン作る修行させてもらってます」
「それじゃ、今は進路が決まったってこと?」
再び晴也が聞いたけれど。
「いえ……。まだ自分に合ってるかわからないので、決まってません」
昇悟は氷で薄くなってしまったグラスを持ち上げた。そして少し揺らしてから、一口だけ飲んだ。毎日同じことの繰り返しは嫌だと言いながら、それでもほとんど毎日、ここへ来ているらしい。
小樽に戻ってきてから昇悟は、とりあえず実家へ戻った。しかし両親とも仕事で帰りが遅く部屋も空いていなかったので、近くのマンションで一人暮らしになった。相談に乗ってくれる人を探して、たどり着いたのがこの店だったらしい。
「戻ってきたときは、フルタイムの仕事を探したんですけど、なかなかなくて……。せっかく山の上から町を見て気持ちを入れ替えたのに……。あ、その帰りですよ、明鈴ちゃんを見つけたのは」
急に出た自分の名前に驚いて、明鈴は思わず昇悟のほうを見た。照れているのか酔っているのか、顔が少し赤い。
「昇悟君……そのバイトは、何時まで?」
「朝から入ってるので、昼までです」
「午後からは何か予定ある?」
晴也がどうしてそんなことを聞いているのか、明鈴はわからなかった。雪乃とは何か相談してあったのだろうか、二人で少し前のめりになっている。
「いえ、何も無いですけど……?」
「明鈴の家庭教師してもらえるかな」
「え?」
「いや、僕……勉強教えたことなんかないし……」
明鈴と昇悟が驚くのは、ほとんど同時だった。
高校までの成績も普通だったし、大学も特に良いところに行ったわけではないし、中退してしまっているし、他人に勉強を教えるような身分ではない。と昇悟は言うが、晴也は引かなかった。
「大丈夫、難しいこと教えてとは言わんから。まだ中学生やし、勉強の習慣をつけてもらえたらそれで良い」
「良いよお父さん、勉強くらい一人で」
「しないだろう、なかなか。テストで満点取れとは言ってない。机に向かう習慣を作れって言ってるんだ」
晴也が珍しくきつく言うので、明鈴は反抗するのをやめた。昇悟も断ろうとしていたけれど、晴也には頭が上がらないようで渋々承諾した。
明鈴が両親から昇悟との関係を聞いていない事に、昇悟も気がついたらしい。