深を知る雨




「……成る程、接着能力か」
「凄いね、さすが泰久。さっきの動きとこれだけで分かるとは思わなかったよ」
「俺とこうなる時のためにずっと隠していたのか?」


その質問には微笑みだけを返してやった。

違うよ、泰久。

私だってこんなことになるとは思わなかったし、雪乃たちのことが無ければこんな早くに目立つことをするつもりなんてなかった。

私がずっと隠してたのは――別れの時が来た時、力ずくで止められなそうになった場合に、逃げ切るためだ。


水圧が高くなっていく。

抑制されていてもこれだけの力が出せるのだから、やはり泰久は凄い。

でも、今回ばかりは負けるわけにはいかない。

氷になるまでには時間がかかる。

時間稼ぎの時間だ。

水が凍るまで力負けするわけにはいかない。

超能力部隊の服は防寒もできるようになっているとはいえ、寒いな……。

でももう少し。もう少しだ。

泰久だって険しい表情になってきてる。

勝ってみせる、絶対に。

だってお姉ちゃんなら勝ったもん。


「ねぇ、泰久、私強くなったでしょ」
「俺よりは弱い」
「ふふ、分かってるよ。でも抑制電波の影響下とはいえ、今は互角じゃん。私はもう、泰久に守られなきゃいけないような子供じゃないんだよ」
「子供だ。大人ならば、自分の状況を分かっていれば、こんな風に目立つことはしない」
「怒らないでよ。私にとっては必要なことなんだ」
「こんなことをさせるために超能力部隊へ入ることを許可したわけじゃない」
「あれ?元から許可なんてくれなかったんじゃなかったっけ?私が無理矢理入っただけで」
「そうだな。その時点で止めるべきだった」
「……本当、いつまでも保護者なんだね泰久は。そんなに私が大事?」


からかい口調で聞いてみたが、間を置いて、存外真剣な声音が返ってきた。


「大事に決まってるだろ」


――呼吸が止まるかと思った。

馬鹿だ、私は。こんなこと聞くんじゃなかった。

思ってた以上に心臓に悪い。

長年好きだった相手からの言葉じゃ、簡単に覚悟が揺らいでしまう。


「……あーあ」


力が抜けそうになりながらも、自嘲した。

昨日捨てようと思ったのに。

ちゃんとこの感情にさよならしようと思ったのに。

……私はまだ、こんなにも泰久が好きだ。

もういいや。

こうなったら、ここで言ってしまおう。

この秘密だけは墓場まで持っていこうと思ってた――でも、こんな風に好かれたままじゃ向こうへ行っても未練がましくなっちゃうよね、きっと。

……だったら。

ここで。

嫌われておいた方がいい。


「その大事な人間が、どれだけ最低な人間でも、泰久はそう言えるのかな」


嫌だと思う自分がいる。

嫌われたくないと思う自分がいる。

泰久の前ではずっと“良い子”で、“妹的な存在”で、“守らなければならない子供”でいたいと思う自分がいる。

でもそれは、最低な甘えであり、罪悪だから。



「8年前、敵国に情報を渡したのはお姉ちゃんじゃない。――私だよ」



さようなら、私の最初で最後の恋。


「……は?」
「消えてほしかったから」


私は泰久の知らないところで、



「お姉ちゃんに消えてほしかったから、そうしたんだ」



とても“悪い子”だったんだよ。






 《16:30 上層部専用観客席》



「あれは、誰だ?」


動揺を隠せない彼らとは裏腹に、ただ総司令官のみが黙って冷静にその光景を見下ろしている。


「“千端哀”……最近よく名前を聞く隊員だな」
「どう見てもEランクレベルではない」
「あのロボットの扱いは、電脳能力に違いない」
「もう1つは接着能力か?こちらもB、Cランクレベルはあるぞ」
「本当にそうならSランク能力者ということになるな。しかし、何番目だ?」
「No.5、No.3、No.1……今軍にいない3人の内の1人ということになりますね」
「……あの顔……あの女に酷似していないか?」
「……“あの女”?」


1人の男は一体誰のことを指しているのかと一瞬疑問に思ったが、すぐにある女の顔を――かつて東洋の核と呼ばれた日本帝国軍の化け物を思い出し、ぞくりとした寒気と共にその風貌を思い起こす。


彼らは1度見た光景をもう1度見ているような心地がした。

それは9年前のことだったか、10年前のことだったか。

この場所で、東宮泰久と1分以上戦った能力者が、もう1人だけ存在したのだ。


「あの女の――――橘優香の妹か……!」


当時世界最強のSランク能力者だった女性と同じ血が流れる女を改めて目にした彼らは、その瓜二つである様を見て、愕然としたのだった。




 《16:40 ランク混合対決屋内会場》


――――過冷却状態の水は、衝撃で一気に凍る。

泰久の操っていた水は一瞬にして氷と化した。

泰久は今この瞬間、およそ戦闘不能になったのだ。



「おい、嘘だろ……」
「東宮さんが……」
「千端ってただの読心能力者じゃなかったの?」
「つーか、さっきから出入口閉鎖されてんだけど」
「能力も使えねえ」


会場内の混乱がより大きくなっている。

私は壁に張り付いたまま上層部専用の観客席を見上げ、大きな声で堂々と、“本当の”自己紹介をした。


「私の名前は橘哀花。SランクNo.1の電脳能力者です」


少しでも私の発言を聞こうとしてか、会場内がしんと静まり返る。


「私がこの部隊にいる間どれだけこの軍の力になったかはそこにいる紺野司令官に聞いて頂くとして。――――ご自慢の日本帝国軍最大戦力を、“女”に破られた気分はどうですか?」


上層部の方々は、“知っていたのか”、“信じられない”という目で紺野司令官の方を見た。

当の紺野司令官はと言えば、ただただ愉しげに目を細めている。


「超能力部隊の女性禁止制度は廃止すべきでしょう。女1人に負かされる程戦力が無いようですから、女だの男だの言っていられませんよ」


嘲笑うようにして口角を上げてみせると、上層部の方々は顔を赤くして私を睨み付けた。

どうやら侮辱されたと感じたらしい。

事実を言ってるだけなんだけどなー、と思っていた、その時。



――――――ぱちぱちぱちぱち。

静かな空間内に、1人の拍手が響く。

観客席の遠くの方で、満足そうに、その男は手を叩いていた。

多くの視線がそこに集まる。

誰も気付いていなかったようだが、これだけいる観客の中で、その者だけが日本帝国の軍服を着ていない。

観客席からこちらへ通じる階段を下ろしてやった。

かん、かん、かん、と音を立てて、その男はこちら側へと降りてくる。


「あー、さっみィ。こんなことならもっと厚着してくりゃ良かったなァ」


その男が着用している軍服の肩の部分には、大中華帝国の国旗が小さくデザインされている。


「でもさっきの戦闘は見てて熱くなったよォ?さっすがボクのじょおーさま♡」


誤解を生みかねない発言をしてくるその男は―――大中華帝国軍中将、Sランク収容能力者の天だ。


そしてその中から、収容されていた人々が次々と現れる。



「迎えに来たわよ、上将様」

―――大校、Aランク精神感応能力者 春梅。



「おれも上将がどんな風に動くか見たかったのに、ティエンの中からじゃ何も見えなかったわ~」

―――上校、Aランク透視能力者 明陽。



「同盟国の皆さん、はじめましてっ。うちの上将さんがお世話になりましたぁ~!」

―――中校、Aランク増強能力者 麗。



「遂にこの時が来たねえ、鈴?」

―――少校、Aランク追跡能力者 緑仙。



「今後急な予定変更はやめてもらいたいものだな」

―――少将、Aランク飛行能力者 泰然。



大中華帝国軍上層部が、今ここに揃った。



抑制電波は、彼らにのみ効かないよう設定してある。

フルパワーを発揮できる状態の大中華帝国軍上層部全員を相手にできる者などいない。


「リューシェン、宜しく」
「ふふ、分かってるよ」


リューシェンの追跡能力で今ここにいる隊員全員の特徴を遺伝子レベルで記録してもらい、後でそれを結界能力を持つティエンと共有してもらう。

そうすることで、この場にいる誰もが、大中華帝国への入国が不可能になる。

ティエンの結界能力はここ数年で急成長している。

今やお姉ちゃんと同等だと言っていい。

これで泰久や一也――私の保護者たちが大中華帝国まで追いかけてくることもない。


「――どういうことだ」


泰久の声がぐっと低くなったのが分かった。

……そりゃ怒るよね。

過去に敵国に情報を流したばかりか、勝手なことばっかりしてるんだもんね。

……でも、もう止まれないんだ。


「私は大中華帝国を守るよ。だから泰久たちは、日本帝国を守って」


持ち運び可能な移動ホールを収容してきたらしいティエンが、それを床に設置する。

大中華帝国直通だ。


リー、リューシェン、チュンメイ、タイラン、ミンヤンの順に、将官佐官が移動ホールへと落ちていく。

ティエンは私を待ってくれているようだった。


「――――大好きだったよ、泰久も、一也も。だけどもう、前みたいな関係には戻れない。何があっても絶対に」


振り返って、最後の言葉を送った。



「さようなら」



もう、……疲れてしまったんだ。

私の中に罪の意識が生き続ける限り、どれだけ2人の傍にいようと、2度とあの頃には戻れない。


「お手をどうぞォ」


ティエンがにやりと笑って手を差し出してくる。

その手を取り、共に大中華帝国へ続く空間へと飛び込んだ。



落下を感じながら、目を閉じる。

瞼の裏ではまだ、あの夏の日の鯉が泳いでいた。