深を知る雨



……どういう意味かしらぁ?

“死者”って誰を指してるわけぇ?

意味の分からない言葉を口にされ首を傾げた時、漸く東宮さんの視線がわたしの方に戻ってくる。


「しかし、何にせよ守らなければならないのは確かだ。――だから」


――唐突に胸ぐらを掴まれ足を引っ掛けられたかと思えば、物凄い速さで視界が反転した。

先程まで座っていたソファに押し倒されている。

しかし甘い雰囲気とはとても言えない。

殺るか殺られるか。そんな言葉がぴったりな空気だ。


「お前には何としてでも吐いてもらう。あいつはあの日どこへ行くと言っていた?」
「……意外と乱暴な人ねぇ、驚いたわ。なぁに、襲ってくれるの?」
「話を逸らすな。俺の質問に答えろ」


……あなたの大好きな千端さんのプライバシーを守ろうとしてやってんのよぉ?こっちは。

好きな人に軽い女に見られるのは千端さんだって嫌だろうしぃ……ったく、どうすりゃいいってのよ。


「離してよ。ココア冷めちゃうじゃない」
「さっさと答えれば冷めることもない」
「……でもわたし答えたくないしぃ、」

「――水責めという拷問を知ってるか?」


心なしか東宮さんのわたしを掴む手の力が強くなったかと思うと、東宮さんの背後に多量の水が発生し始めた。

げっ……この人超能力使って脅す気ぃ?


「落ち着きなさいよぉ。ほら、よく見てごらんなさい?目の前にいるのは無力な1人の女よぉ?そんなことしたら可哀想でしょ?」
「関係ない」
「……ほんとに焦ってんのねぇ。いつもクールで余裕ありげなあなたがこんな出方するなんて」
「――っ余裕なんて有るわけないだろ……!」


突然大声を出され、思わずびくりと体が揺れた。


「毎日抱擁する約束だったんだぞ?それを急に何の前置きも無くいなくなったかと思えば特別訓練、連絡しても返信は無し、その上いつ帰ってくるかも分からない。せめてこの期間はできないとかそういう報告があっていいものを、俺のことなんて忘れたみたいにプッツリ連絡が途絶えた。そのうち連絡が来る気がして毎日落ち着き無く端末を確認する羽目になった。前から思ってたんだが、あいつ、言ってることとやってることが合ってなくないか?俺のこと好きなんじゃないのか?俺が傍にいない間欲求不満はどうやって解消してるんだ?一緒に特別訓練に行っている男に解消してもらってるのか?なあ」
「…そ、そんなことわたしに聞かれてもぉ……」
「いなくなるまで毎日抱き締めていた分急に日課が無くなったようで物足りなくなるし、会いたくてたまらなくなるし、まるで恋だなと自嘲したところで急に気持ちを自覚してしまう虚しさがお前に分かるか?本人のいないところで気付いたんだぞ。特別訓練の内容は明かされていないし、今何をしているのかも分からない。どこへ行くか、あいつは俺に何も言ってないんだ。前日何をしていたのか、誰といたのか知りたくなるのが普通じゃないか?そいつならあいつがどこにいるのか知っているかもしれない」
「……っ、分かった分かった分かった!教えるわよう!」


勢いに負け、思わずそう言ってしまっていた。

よく分からないけど千端さんの遊び人っぷりについては何かもう知ってるみたいだしぃ、バラしても問題なさそうではあるわよねぇ。


「一ノ宮さんのところよぉ。千端さんがあの日行ってたの」
「――――……、」


東宮さんの表情が変わるのがはっきり分かった。

その顔がただ事ではないことを物語っている。


……?


「……まさかとは思うけどぉ、千端さんに何かあったの?」
「……いや。その後、あいつは帰ってこなかったんだな?」
「え、ええ。次の日例の特別訓練の知らせが端末に届いたから、そのまま戻ってこずに行ったんだと思うわぁ」
「……そうか」


東宮さんはわたしから手を離し、暫く何も言わなかった。

眉間に深い皺が刻まれている。

話し掛けていいような雰囲気ではない。


何秒か経った後、東宮さんはわたしの上から退いた。

出ていくらしい東宮さんの後ろ姿をぽかんとしたまま眺めていると、ふと東宮さんが足を止めてわたしを呼んだ。


「瀬戸川」


その視線が、再びわたしに向けられる。


「俺のような人間を追ってきてくれたことに感謝する。いつか他にいい男を見つけてくれ」


……あーくそ。その捨て台詞は狡い。


今のところあなた以上の男なんて知らないわよぉ。

そう言いたくなる気持ちを、ぐっと堪えた。



東宮さんが出ていった後暫く呆然としていたが、気を取り直して立ち上がる。

っはー、失恋しちゃった。まぁいい経験よね。

ほんとにいい男は、わたしみたいな女好きにならないのよ。

わたしに寄ってくるのは、体と顔しか見てない男だけ。……自分で言ってて虚しくなる。


わたしってば思考がいつもよりネガティブねぇ。

結構落ち込んじゃってるのかしらぁ?らしくない。


洗面台に置き忘れたままだった手鏡を持ち、ドアを開けた――が。

部屋のすぐ外に、大きな、目付きの悪い男が立っていたことで驚いて動きが止まる。

見覚えがないわけではない。


SランクNo.2の一ノ宮一也だ。

……東宮さんといい一ノ宮さんといいわたしといい、今日はこの部屋に色んな人が訪問してくる日なのかしらぁ?


「……出れないんだけど」


わたしの行く手を阻むように立ち塞がる一ノ宮さんに対し退いてほしいという意味でそう言ったのだが、一ノ宮さんは無表情のまま質問をしてきた。


「何故あなたがこの部屋から出てくるんですか?」
「あー、あの女子寮爆発事故からずっと千端さんに部屋借りてたのよぉ。今日は忘れ物取りに来ただけ」


先程東宮さんにもした説明を繰り返すと、あぁ成る程と一ノ宮さんは頷く。


「誤算でした。あの日、彼は1人だと思っていた」
「……あなたは何でこの部屋に来たわけぇ?」


さっきの話。

一ノ宮さんの名前を出した途端、東宮さんの顔色が変わった。

もしかしたら何かあるのかもしれない。

少しの警戒心を抱きながらも、一ノ宮さんの答えを待つ。


「泰久様には見張りを付けていまして、日々の行動と異なるところがあれば報告するよう指示してあるんです。泰久様がEランク寮に来ることなど滅多にないので、来るとしたら哀様のお部屋かと」
「何でそんな、監視みたいなことを?」
「必要だからですよ。“このようなこと”があった場合、すぐに分かるように」


僅かに変化した声音――――本能的に危機を感じドアを閉めようとしたところを、一ノ宮さんの足が邪魔をする。

その後力ずくでドアを押し開かれ、強い力で玄関の壁に押し付けられた。


「正直に答えてください。あなたは哀様がいなくなる前日もこの部屋にいたんですか?」
「ええ」


……え?


「最後の夜、彼は僕のところへ行くと言っていた――そうですね?」
「そうよ」


……待って、……待って。

口が勝手に動く。声が勝手に出る。

わたしの意思に反して、言葉が出ていく。


「そしてあなたは、先程それを泰久様に伝えた、と」


「ええ」と答えたわたしに対し、一ノ宮さんはチッと忌々しそうに舌打ちした。

Sランク能力者について調べた時、この人の能力にはあまり注目していなかった。必要だったのは東宮さんの情報だったから。


……でも、確か。

人を操る能力とかじゃなかったかしらぁ?


助けを呼ぶため叫ぼうとしたのだが、できなかった。


口が開かない。

声を出せない。

体が動かない。


「まったく面倒なことをしてくれた。やらなければならないことが増えました。……まぁでも、使い道がありそうなのであなたは僕の駒にしますね」


――体が言うことを一切聞いてくれない。

“この人に逆らってはならない”――得体の知れない恐怖がわたしにそう告げている。


蹴り飛ばしてでも逃げるべきだと頭では分かっているのに、そうすることがどうしようもなく怖い。

あぁ、そうか。……これが、この人の能力。


「付いてきてください。役に立つようなら殺しません」


その命令通り、わたしの足は動き出すのだった。




 《21:40 Aランク寮》遊side


東宮から電話が掛かってきたのは、薫たちと居間で寛いでいた時だった。

画面に表示された“東宮”の文字を見てすぐ立ち上がり、廊下に出る。


「どないしてん、こんな時間に」
『すまない。やられた』
「……は?」
『――一也が消えた。荷物もない』


……しくじった。このタイミングで姿を消したということは、東宮の行動は常に監視されていたんだろう。

東宮に気付かれたことを知って逃げたか?

……一ノ宮本人に逃げられてしまったら、チビの居場所を知る術がなくなってしまう。手詰まりだ。


『一也が関わっているのはほぼ確実だ。上層部の人間に話を聞いたが、特別訓練の実施に向けた動きには不可解な点が多い。流れが不自然だ。突然特別訓練の実施が提案され、反対意見は一切なかったらしい。上層部の連中は無意識の内に操られていると考えていい。そんなことができるのは一也だけだ。瀬戸川も、あいつはいなくなる前夜一也のところへ行っていたと証言している』
「は?麻里?」
『瀬戸川はパレードの後から暫くの間、あいつの部屋に泊まっていたそうだ』


……なら、俺が送っていったあの後、麻里はチビと一緒にいたってことか。


麻里は記憶力がいい。

その日のチビの様子も覚えているだろう。

何か手掛かりになるかもしれない。

話を聞いてみる価値はある。


通話を続けながら、麻里の連絡先に向け〈直接話したいことがある〉とだけ打って送信した。


「ほんで?一ノ宮が確実に関わっとるってのは分かったわけやけど。そちらさんは随分落ち着いてはるんやなぁ。お前まだ、一ノ宮はスパイちゃうって思てるやろ」
『……そうだな。スパイではないと思っているし、一也が関わっている限りあいつは生きているとも思っている。寧ろ安心したというのが正直なところだ』


一ノ宮がチビの失踪に関わっていることを知っても、まだ売国奴ではないと言い切る東宮。

一ノ宮がチビをこの軍から消したのは、スパイであることがバレたという理由からではないと言いたいらしい。


視野は狭めるべきじゃない。

一ノ宮がスパイである可能性も、東宮の言う通りそうではない可能性も、どちらも考慮しておくことが最善だ。

俺は一ノ宮がスパイであることを疑い、東宮はそうでないことを信じる。

2人いればどちらの視点からも物事を見られる。

――ただ1つ、言いたいことはある。


「生きとるからって、無事かどうかは分からへんぞ」
「……どういう意味だ?」
「一ノ宮はチビに対して歪んだ愛情を抱いとる。一緒に神戸行った時、思考を読んで分かった」
「……」
「覚悟しとけよ。――長いこと付き合うとった相手が悪人である可能性を」


それだけ残して通話を切った。

あまり長く廊下で話していると不審に思われる。

相手がSランク能力者である分危険だ。薫たちは巻き込みたくない。

今回のことは俺と東宮だけで内密に片付ける。


居間に戻ると、薫は風呂に入ったのかいなくなっていた。

里緒は部屋にいるし、残るはソファでのんびり文豪の小説を読んでいる楓だけだ。

楓は文学系の8年制大学に通っているだけあって、俺にはよく分からない難しい本を読んでいる時がしばしばある。


「……なぁ、楓」


それを遮るように名を呼べば、視線だけがこちらに向けられた。


「佳祐が裁かれた時、お前どう思った?」


こんなものはただの勘だ。

そんな気がするだけだ。

必ずしも関係しているとは思えない。


でも、もしかしたら。

覚悟せなあかんのは、俺の方なんかもしれん。


「……何で今更、そんなこと聞くの」


楓は読んでいた本を閉じ、俺を見上げる。


「1度もこういうこと聞いとらんかったなと思て」
「……そりゃ、聞きづらいわよね。でも正直、覚えてないのよ。あまり。忘れなきゃいけないって思って。佳祐はきっと、忘れてもらうことを望んでいるだろうから」
「薫もそう答えるやろか」


俺の質問に対し、楓は暫くしてから無表情で答えた。


「あいつもきっとあたしと同じ。口ではこう言いながら、佳祐のこと忘れた日なんて無いと思うわ」