マイナスの矛盾定義

「遅かったですね」


「……シャロンとの話はもう終わったの?」


「そう時間は掛かりませんでした」


「何の話をされたの?」


「大した話ではありません。ただ、彼は君を俺に任せてきました」



……じゃあ、シャロンは、本当に私がクリミナルズから抜けることを許してくれたんだ。


あんなに私を傍に置きたがってたのにこんなにあっさりしてるってことは、……私を騙してたこと、反省してるってことよね。


ホームで会った時は今どんな気持ちかなんて怖くて聞けなかったけど、今度会った時はゆっくり話がしたい。



「怖くありませんでしたか?この辺は街の光も無いので暗いでしょう」



どちらかといえば暗い夜道よりブラッドさんが静かに立ってたことの方が怖かった。



「問題ないわ。行きましょう」



入り口のドアを開けてみると、ギィィィ……なんてホラー映画さながらの音がした。


電気をつけようとスイッチを押したが、明かりはつかない。


仕方ない……チャロさんに貰った携帯の簡易ライトだけで進もう。
簡易ライトをつけて研究所に一歩足を踏み入れた時、



『―――誰だ?』



ヤモのあれに似た機械音が廊下に響いた。


どこから聞こえてくるのか分からずキョロキョロしていると、後から入ってきたブラッドさんが機械音の問いに答える。



「貴方と話をしたくてやってきた者です」


『その声は……研究所の連中ではないな』


「はい。そちらは――“春”のお父様で間違いないですね?」



ようやく音の源を突き止めた。


壁に付いているスピーカーだ。



『春の知り合いか?』



ブラッドさんは私の背中に手を添えて、前に進ませる。


廊下を歩くとミシミシ音がして、建物の古さを感じた。



『2人いるな。もう1人は誰だ?』


「…お、父さん。私……です」



か細い声になってしまったが、聞こえたのか聞こえていないのか、機械音はしなくなった。


廊下の奥にドアがあった。


少し躊躇ったが、すぐにそのドアを開けた。



広い部屋の真ん中に―――ラスティ君の持ってきてくれた写真に写っていた、丸い機械が置かれている。



「…お父さん……?」



まだ半信半疑だが、その機械に向かって呼び掛ける。



すると、


『どうしてここに?』


声は違うものの、私を認識しているらしい質問が返ってきた。



それがどうしてこの場所を知っているのかという意味なのか、何の目的でここへ来たのかという意味なのかは分からなかったが、後者の意味で捉え話を進める。



「元に戻る方法を教えてほしくて、来たの」


『元に…?』


「不老不死の体を捨てる方法を聞きに来たの」



機械音はしなくなった。
しばらくして、機械は話し始めた。


寒さと緊張で無意識的に震えていた私に、ブラッドさんが寄り添う。



『金魚を死なせてしまった』



一瞬何の話をしているのかと疑問に感じたが、



『あの金魚を使って実験をした』



昔家族で行った夏祭りですくった金魚のことを言っているのだと、すぐに分かった。



『家族との大切な思い出まで利用した。僕はあの時、人を捨てたのだ。――もう戻れない。研究を進めるしかない。そうすることでしか今までの生き方を肯定できない。お前には不老不死になってもらわなければいけない。戻る方法は教えられない。誰も死なない、誰もが生き続けられる、理想的な世界を作るのだ。研究を進めなければいけない。研究を進めなければいけない。研究を進めなければいけない。研究を進めなければいけない。研究を進めなければいけない。研究を進めなければいけない。研究を進めなければいけない。研究を進めなければいけない。研究を進めなければいけない。研究を進めなければ……』



壊れたかのように同じ言葉を繰り返す機械を止めたのは、ブラッドさんの言葉だった。



「もうやめませんか」



その声は、私に話し掛ける時のように優しい。



「辛いでしょう。そんな姿で、ここで1人生きるのは」


『……』


「故障しない限り貴方は永遠に生きることができる。世の中がどう変わっても、ここで1人生き続けられる。しかしそれはあまりにも歪な生だ。死があるから生が美しい物に変わるのだと、そう思いませんか。生き続けることが理想なら、何故貴方はここでそんなに苦しそうにしているんですか。―――貴方の生の定義は矛盾していませんか」
ブラッドさんが懐から拳銃を取り出したので、それ私の仕事では、と思いその拳銃を貰おうとしたが、ブラッドさんは渡してくれなかった。



「貴方の命を終わらせに来ました。楽にしてあげますよ。ただ、その前に教えてほしいんです。この子を元に戻す方法を」



銃口を機械に向けて、変わらない優しい声で言う。



それでも機械は話さない。


機械だから今どんな表情をしているのか、どんな感情を抱いているのかも分からない。



「…お父さん」


『……』


「私、死ぬのは怖くない」


『……』


「お母さんは死んだけど、お母さんの残した私は生きてるでしょう」


『……』


「みんなそうやって何かを残して消えていくんだと思う。そうやって繋がっていくんだと思う。それが人間の在り方なんだと思う」


『……』


「私も――何かを残して次の世代に繋げたい」



研究所の人達には恐怖を抱くのに、今、お父さんは不思議と怖くない。


それは、曲がり形にもお父さんが私のお父さんで、優しくしてもらった過去の記憶がまだどこかに残っているからだろう。



『……大きくなったな、春。僕よりもずっと大人だ』


「…私、実は今“春”じゃないのよ。アリスっていうの」


『…アリス?』


「いい名前でしょう?」



元雇い主に貰った名前を自慢すると、お父さんが笑った気がした。
お父さんはまた暫く黙っていた。




しかしその沈黙は長くはなく、


『完全体になる前に子をつくればいい』


私たちに驚きの言葉を残す。



『理論上、お前の不死の能力は子をつくることで薄まる。子もお前も多少怪我の治りやすい体質にはなるだろうが、死ぬことはできる』



一体どういうメカニズムなのか私にはよく分からないが、薬を作ったお父さんは確信しているようにはっきり言った。



『……もう、終わらせてくれ。最期に娘に会えて良かった』



その一言を聞いたブラッドさんは、私と共に一歩前に出る。


いざ最期となると何を話していいか分からなくなるものだ。


お父さんとは何年も前からまともに触れ合っていない。


思い出という思い出もない。


娘として、言えることは何も無い。



「この子の父親である貴方の死に逝く様はさぞ美しいものでしょうね。手を下すのが俺であることが幸福です」


『…何故そんなことを思う?君は、変わっているな』


「……この子の死に逝く様が、酷く美しかったからですよ」



ブラッドさんが片手で私の目を隠した直後、発砲音が耳に届いた。



「ご冥福をお祈りします。貴方がいたから俺はこの子に出会えた」