マイナスの矛盾定義

如月は僕の突然の誘いが不可解なのか首を傾げたが、


「少し遅くなるけど、午前中の仕事がお互い早めに終わったらいけるかも……」


一応誘いに応じる姿勢は見せた。



「でもあなたには初めての仕事があるし……お昼までに間に合うかな…?」


「初めての仕事?」


「師走さんっていう、実験用の生物を保管してる機械の管理を行ってる人がいるんだけど……今日はあなたをその人の手伝いに回そうと思ってて……師走さんがそろそろ迎えにくると思う……」


「…聞いてないんだけど」


「言ってないもん…」



もんって何だよもんって。可愛いけど許さねぇぞ。


僕がうまく動けない原因の1つは、如月が仕事内容を当日に伝えてくることだ。


その時その時で何を言われるか分からないから計画的な行動ができない。


言っても直そうとしてくれないし……ったく、調子狂う。




「噂の優秀な新人クンってその子かな?」



ふと研究室の入口付近から声がしたのでそちらを見ると、緑色の縁をした眼鏡をかけた、マッシュルームカットの長身の男が立っていた。


何というか………あまりファッションに気を使わない僕でも分かるくらい、ファッションセンスのない格好をしている。


全身紫。そのうえ白衣を着ているため、新種の生物か何かにしか見えない。



「師走さん……ありがとう、わざわざここまで来てくれて…」


「如月のためならどこまででも行くさ。嗚呼……今日も綺麗な肌だ」



早足で如月に近付き、その頬をさする師走。


うわ、何か変態っぽい……。ぶらりんに似たものを感じる。
「ついて来てくれ。管理室まで案内しよう」



如月の頬に手を当てたままこちらを見て言った師走は、一時の別れのキスと言わんばかりに如月に口づけて歩き出す。


如月は特に表情を変えることなく「いってらっしゃい」と小さく言った。



少し驚いたが、師走はさっさと行こうとするので後を追って研究室を出た。



「……まさか如月さんに恋人がいるとは思わなかったな」



師走の隣を歩きながら、試すように言った。


恋人の存在は良い弱みになるんじゃないか?


何であれ、大切な人や物が存在する人間は絶望させやすい。


如月にとって大切な物は研究くらいだと思っていたから、恋人がいるとは収穫だ。



そう思って密かに笑っていたが、


「恋人じゃないさ。彼女が普通の人間に対して一般的な恋愛感情を抱くとは思えない。今後一生ね」


そうではないと師走は言う。



「恋人じゃないのに躊躇い無く触れるんだ?」


「如月はオレが何をしようと抵抗しない。抵抗する理由がないからだ」



まぁ如月らしいっちゃらしいけど、それじゃこいつを利用しても復讐には繋げられない……か。



「心が手に入らないから体だけでも手に入れたいと思うのは普通だろう?」


「…そうだね」



ちょっと危ない雰囲気を漂わせてくる師走に口先だけの同意を返す。
そうこうしているうちに、管理室とやらに到着した。


師走は慣れた様子で生体認証とパスワード入力で扉を開け、ひんやりとした管理室へと足を踏み入れる。



「することはただの定期点検だ。その辺にあるUSBメモリを取ってくれるか?」



師走が指示してきたので、僕も続いて管理室に入りUSBメモリを渡した。


師走はそれを手に取って何やら作業をし始めたが、僕は手持無沙汰だ。



とりあえず椅子に座って作業が終わるのを待とうとすると、



「もう少し早く言おうと思っていたんだが、勝手な行動は控えめにやってくれよ、新人クン」


即座にそう言われた。



こちらを見ていないようで見ているらしい。



「あぁ、ごめんごめん。座っちゃ駄目だった?」


「そっちじゃない。―――うちの研究員を殺しているのは君だろう?」



師走は表情を変えず、USBメモリを挿しながら問い掛けてくる。



バレることを想定していなかったわけじゃない。


寧ろバレなければ不自然だとすら思っていた。


だから、師走の問い掛けは大して驚くようなものでもない。



「どうしてそう思うの?」


「殺し方が素人のものじゃない。警備を強化しても止まらないところを見ると内部の人間の仕業である可能性が高い。この研究所にいる人間で、殺しに慣れている者といえば、リバディー所属の君くらいだ」



推測しているというよりは確信しているような口ぶりだ。
「ああ、でも誤解しないでくれ。君を追いだそうなどとは思っていない。君は優秀だからね」



この場にある何を使って師走を殺そうか考え始めていた僕は、次にやってきた師走の言葉に多少驚いた。


如月といいこいつといい……どっか感覚ずれてんじゃねぇの。



「僕を野放しにしてたら、研究員の数が大幅に減っちゃうかもよ?いいの?」


「発見された遺体はどれもこの研究に大した貢献をしていない人間のものだ。いなくなったところで困らない。君もそういう人間を選んで殺しているんだろう?その証拠に、上の人間は誰も殺されていない」



確かに、重要人物といえる人間は脅すだけで殺していない。


まだ利用価値があるからだ。



「ただ、覚えておいてくれ。野放しにしておくのはこの研究が今まで通り進んでいく場合に限ってだ。君が邪魔になるようであればすぐ追い出す。 …とはいえ、君が何をしてももうこの研究は止まらないだろうがな」


「ふーん。随分な自信だね?」


「今朝警察から面白い情報が送られてきてね。日本行きの船に最重要実験体が乗っていたという目撃情報があったらしい」



…何だと?


じゃあ、アリスちゃんが日本に来てるのはバレてるってことか。


これはぶらりん達に報告して早めに対策取ってもらわないとまずい。



「もう止められない。逃げ出した実験動物自らこの場所に近付いているのだから」


「……アリスちゃんは実験動物じゃない」


「アリス?君はそう呼んでいるのか。しかしあれはそんな名前じゃなかっただろう?確か漢字一文字の……何だったかな。忘れたが」



こいつらは、自分たちが酷い目に合わせた少女の名前を覚えていない。



「直に実験体は捕まる。そうなれば、またあれを使って実験ができる。大幅な進歩になるだろう」



―――…ほんっと、不愉快。




男の首を掴み、勢い良く壁に叩き付けた。



「覚えとけ。アリスちゃんに何かしたら、殺してやる」
少しも怯えていない様子でにやりと笑う師走。



「怖いねぇ、最近の若いのは」



このまま首をへし折るのは簡単だ。


――でもそれじゃ面白くない。


この男にはまだ利用価値がある。


ただでは殺してやらない。



「そうか、君はあの最重要実験体に思い入れがあるのか」



こちらを見透かすように続けて笑った師走は、ふと気付いたようにガラスの向こう―――隣の部屋に目を向けた。



それに合わせてそちらを見ると、さっきまで誰もいなかったはずの部屋に車椅子の少女――10歳ほど、いや10歳にも満たないであろう少女――が入ってきていた。