マイナスの矛盾定義

『ならば、お前には暫くの間通訳者としてタダ働きをしてもらおう。その代わりということであればお前に協力する』



「………ちょっとボス、本気なの?」



チャロさんは半ば呆れたようにエリックさんに聞く。



『リバディーという名前は自由と仲間を意味する。国に反対することもできずに何が自由だ。私は国家の犬のような組織のトップであるつもりはない。それに―――嫁の友人の手助けをして何が悪い』



………………は?



一瞬この場にいる全員が時間が止まったかのように固まったが、最初に口を動かしたのはブラッドさんだった。



「…どういう意味ですか?」



さすがのブラッドさんも理解に苦しんでいるようだ。



『そのままの意味だ。私とニーナは結婚が決まった。ブラッド、妹を貰うぞ』


「…随分急ですね。ニーナ、よく考えたんですか?」

「そうよ。大丈夫なの?脅されたとかじゃないわよね?」

「ニーナちゃん、結婚っていうのは楽しいことばかりじゃなくて」


「お前ら過保護だな……」



焦ってニーナちゃんに話し掛ける私たちとは違い、アランだけが冷静だ。



『は、はい……。たとえ不幸になっても、エリックの傍にいたいって思って…』



ニーナちゃんがちょっと恥ずかしそうな声を出す。


まさかこんな話になるとは思っていなかったのだろう。



でも、そうか……そうなのか…。


ニーナちゃんの過去の話を聞いて、エリックさんはニーナちゃんのヒーローみたいな存在だと思ってたけど、まさか夫になるとは…。



電話の向こうのエリックさんはさぞ得意げな表情をしていることだろう。


…まぁ、祝福してあげないこともない。
『それで、どうなんだ?』


「え?」


『リバディーに協力を依頼する限り、お前は嫌でもリバディーのメンバーと共に行動することになる。クリミナルズには当分戻れないぞ』



エリックさんは私にそう警告した。



リバディーの連中と一緒にいるか、シャロンのいるクリミナルズに戻るか。


……この状況じゃ、選択肢なんてあってないようなものだわ。



「分かってる。タダ働きはしない主義だけど、今回だけは例外よ。…ありがとう、エリックさん」




電話の向こうでエリックさんが笑った気がした。
それからそれぞれどのように動くかを大雑把に決め、とりあえず話が纏まり、チャロさんはエリックさんとの通話を切った。



電話の最後にはニーナちゃんに今度一緒にご飯を食べに行こうと誘われたので、了承しておいた。



私、本当にあのリバディーと協力することになったのね……。




これからどうしようかと考えていると、ブラッドさんが言った。



「日本に着くまで、アリスは俺の部屋に泊めますね」


「だめだ」



しかし、アランが素早く反対する。



「…何故です?」



眉をひそめるブラッドさんに向かって、アランはバッサリ言い切った。



「俺はアリスに惚れてる。だからアリスとアリスに好意を寄せる男が同じ部屋で一晩過ごすことは許せない」



真顔で言えるのが凄いわね…と感心しながら傍観している私。



ブラッドさんは少しだけ目を見張ったが、冷静な声でアランに返事した。



「やはりそうでしたか。君がアリスに対して取る態度にはいささか疑問を感じていたところです。君も俺の恋敵ではないかと」


「お前には感謝してるし、できる限りお前のために働きたいと思ってる。でも、それは仕事上での話だ。恋愛に関しちゃ俺の自由にさせてもらう」


「本気なんですね?」


「あぁ」


「わかりました。できれば君とは争いたくなかったのですが…そうとなれば正々堂々戦いましょう」



ブラッドさんが立ち上がると、アランは邪魔だとでも言うように自分のネクタイを外した。


え、何が始まるの…?殴り合い?




「ちょ、ちょっと待って?女であるアタシがいるんだから、アリスちゃんはアタシの部屋に泊めるのが妥当じゃない?」



この中で最も常識人であろうチャロさんは、2人の間に入って提案する。
「アタシなら2人共文句ないでしょ?」



「……そうだな」

「……」



2人もこの場を穏便に済ませるにはそれが一番良いと思ったのか、チャロさんの意見に同意した。



でも、チャロさんはスパイをしていた私をどう思ってるのかしら……。


今チャロさんと同じ部屋で過ごすのは少し気まずいと思っていると、チャロさんは私の気持ちを察知したようで、


「安心してよ。スパイされた仕返しに何かしようなんて思ってないし、ラスティ君みたく悪趣味でもないから。アタシにとっては上の人間の判断が全て。アリスちゃんが何をした人間であろうと関係ない」


私にそう言ってくれた。



私のしたことを本当に何とも思っていない様子だった。


敵組織の人間である私を、世話するべき1人の被害者として見ているような目だった。







部屋に行くと、チャロさんはインスタントの抹茶を出してくれた。


夕食をどこで食べるか聞かれたが、リバディーと相互に協力することが決まった今、部屋の外へ出てクリミナルズの人と会うことは避けたい。


だから部屋で食べたいと伝えると、チャロさんはわざわざお寿司を買ってきてくれた。


私が日本人であることを意識してチョイスしたのかもしれない。



チャロさんと2人で向かい合って座り、夕食を食べる。



「この船、何でも売ってるのね」


「ほんとそれ。アラン君たちも日本へ行くって言うからどうせなら途中まで一緒に行こうと思って同じ船で予約しといてって頼んだけど、まさかここまでとは……。リバディーの人ってどっかずれてるっていうか、給料いいからか金銭感覚おかしくなってると思うんだよね」



チャロさんの言葉を聞いて初めて意識したが、そういえばクリミナルズの連中もやたらとお金を使う。



「庶民のアタシはついてけないよ。そりゃアタシだってリバディーのメンバーだからそこそこ稼いでるけど、使い方ってもんがあるもん。目的は日本観光なんだから、移動できるならどんな船でも良かったし……なのにこの船ときたら、何でもあるし広すぎだし貰った地図見てもよくわかんない」



チャロさんはファイルの中から船内の地図を取り出し文句を言う。


しかし、私には地図よりも先に目に入ったものがあった。


ファイルの中からちらっと見えた絵だ。
「それは…?」


「…えっ。あ、あぁ、これ?…たまに趣味で描いてるんだよね」



チャロさんは少し恥ずかしそうにしながらその絵をファイルから出して見せてくれる。


組織のメンバーの似顔絵らしかった。



「チャロさんって絵がうまいのね」


「そ、そう?人に見せたことなかったんだけど…」


「もったいない。自慢していいと思うわよ」


「そっか…嬉しいな。…まぁ、勝手に描いちゃってるわけだし本人たちに見せるわけにはいかないけど……」



喜んでいるのか、チャロさんは他の絵もファイルから出してきた。


私はそれを順番に見ていく。


本当に絵がうまい。