マイナスの矛盾定義

「ごめんなさい。まだ、私はこの組織にいる。不老不死である以上はこの組織にいるって決めてるの。この組織は追われる身である私をずっと守ってくれているわ。追われる理由がなくなるまで…不老不死の身体じゃなくなるまで、私はクリミナルズの一員であり続ける。もうスパイ活動をする時間的余裕はないけれど、今日みたいに仲間が頼ってきた時すぐに助けに行けるメンバーでありたいの」



単純に目的を果たすことだけを考えれば、ジャックと共に行くことが最善なのかもしれない。



でも私は強欲だから。


自分の望みは全部叶えたい。





「そうか」


「ごめんなさい。ありがとう、嬉しかったわ」


「君が謝ることじゃないさ」


「本当に嬉しいのよ。今は、やっぱり駄目だけど。素敵なお誘いをありがとう」



ジャックは、少し切なそうに微笑んだ。



「…ふられちゃったな。残念だけど諦めるよ」
そして、私の手を握る力を少しだけ強めて言った。



「でも、覚えておいてほしい。もし君に居場所がなくなったら…今いる場所が君の居場所ではなくなったら、どうか俺の元に来てほしい。俺はいつでも君を受け入れるから」




「…本当に口説かれてるみたい」


「…酒に強いとは言っても、多少は酔ってるのかもしれないな。こんなことを言うなんて」


「あら、酒のせいで言っちゃっただけなの?」


「いや…そうじゃないけど」



ジャックが少し頬を染めて視線を逸らすので、思わず笑ってしまった。



「あなたって可愛い人ね。とても裏の社会で長く生きてる脱獄者には見えない」



「…6つ年上の男に可愛いなんて言うもんじゃないぞ」



ゆっくり私に近付いてきて、すっと私の手からレモネードの入ったグラスを奪い、テーブルに置くジャック。



こちらをじっと覗き込んでくる青色の瞳が艶っぽくて、妙に心拍数が上がる。



クッと。その含み笑いですらいつもとは違う雰囲気を漂わせている。



「ほら…痛い目に合う」



するりと指で私の髪を耳の後ろに流したかと思うとその唇が近付いてきて、――…耳を、噛まれた。



ピリッとした痛みが走る。





「……あなたってこういうこともするのね」



噛まれた耳を押さえながらジャックを見上げた。
「こういうことって?」


「女性を噛むなんて意外だわ」


「君が挑発するからだ。もっと噛んでもいいくらいだよ?大人をからかう悪い子は」


「…あなたが大人の男性だってことはもう分かったから、…手、離して」



素直にそう言えば、掴まれていた手が離される。



「困った顔の君も悪くないね」


「…趣味の悪い男」


「厳しいなぁ」



クスクスと笑うジャックが、ようやくいつものジャックに見えた。


もう…短気なんだから。


そういうところが子供っぽいのよ、って言ったらまた怒られるわね。



「さて、そろそろ戻ろうか。陽くんは起きてたみたいだし、戻らないと怪しまれる」


「なんで起きてたって分かるのよ」


「立ち上がった時睨まれたんだよ。君に何もするなよっていう威嚇だろうね。前から思ってたけど、彼は軽薄そうに見えてなかなか聡明な男だな。ああいう奴が一番怖い」



そう…なのかしら。よく分からないけど。



「あなたもクリミナルズに入ったら?もうメンバーのことよく分かってるみたいだし」


「悪くない誘いだけど、遠慮しとくよ。暫くは自由に動き回りたいんでね」


「あら、振られちゃった」


「…おあいこだね」



顔を見合わせ、ふふっと笑い合った。
――某日日本、マーメイドプラン研究所。
マーメイドプランの関係者と繋がりを持つことは容易だったが、そこから研究員になる為の試験を受けられるようになるまでが大変だった。


関係者の弱みを握り、脅してやっとだ。


試験自体は化学や物理学、数学や生物学をごちゃ混ぜにしたような内容だったが、制限時間が来る前に全て終わらせてしまった。




そして僕は今――日本の研究所にいる。





案内人の男が言った。


「普段ならないですよ。如月さん自ら新しい研究員の面接に来るなんてね。そもそもあまり顔を見せにこない人なんで、自分も会ったことは1、2度くらいしかありません。多分一度も会ったことのない人の方が多いんじゃないですか?」



驚いたことに、この研究の中心人物である“如月”が、僕と直接会いたいと言っているらしい。


記述試験で目立ちすぎたんだろうか。


どの程度の成績で関わらせてもらえるか分からなかったから手加減しなかったんだけど…。


僕としてはもうちょっと段階を踏んでから会いたい相手であるだけに、少々予想外の事態ではある。





長い廊下を歩いているというのに暖かい。


必要以上に快適な研究所だと廊下の壁を見ながら思った。


どんだけ金かけてんだよ。


分厚い壁は、外の光を絶対に通さない。


人や大型の動物が逃げられるような大きさの窓は見当たらない。


そういう風に設計されているんだろうな…。





「あ、如月さん。こんにちは」



案内人の男が急に立ち止まったのでぶつかりそうになったが、なんとか踏みとどまる。


前を見ると、そこには白衣の女が立っていた。


肩より10センチほど長い黒髪。中性的な顔立ち。細身の身体。


どこの香水だか知らないが、その控えめな匂いは、どこかで嗅いだことのあるような香りだ。



「……、…」



―――…綺麗な女性だな、と思った。
顔が特別整っているわけじゃない。


彼女の纏う雰囲気が、存在感が、変に僕を惹き付ける。


何か言わなければならないのに、何も言えない。動けない。このままじゃ不審に思われると分かっているのに。くっそ、なんだこれ。




白衣のポケットに手を突っ込んでいる彼女は、僕を見て独り言のように言った。



「…似てる」



……は?何が?



「リバディーの人だね…ここの研究員になりたいらしいけど、上の命令…?国からの報告は来てないけど…」



小首を傾げる如月の瞳が、じっと僕を見つめてくる。


この人何歳なんだ?年いってるはずなのに、不思議そうな表情は子供のように可愛い。



僕は息を少しだけ深く吸い、言葉を発した。



「…組織は関係ないよ。個人的にこの研究に興味が出てね。実は内緒で来てるんだ」


「ふーん…見かけによらず、なかなか危ないことするね」



意味ありげに笑う如月を不気味だとも思うが、それ以上にその心中を暴いてみたくなる。



こういう澄まし顔で何考えてるか分かんねぇ奴ってそそるんだよなぁ。


その顔を歪ませてみたい。
「まぁ…成績はこれまでにないくらい優秀みたいだし…リバディーの人だから機密事項に関する躾も十分施されてるよね。いいよ、この研究に加わって」



…随分あっさりしてるんだな。



「ただ、関わらせてあげられるのは休暇の間だけ…。本来の仕事が再開したら戻りなさい…両立できるような仕事じゃないよ」



げ、こっちの状況は調べられてるのか。