「………」
母親を、殺した。
それはこの前、《絶界》の総長であるヤスヒロさんから聞いた。
それはヤスヒロさんが仕向けたことだということも。でもそれは、どこまで本当なのかわからない。
「当時、母さんはひどく荒れてたんだ。仕事が辛くて、辛くて、生きるのが苦しかったらしい。…薬にも手を出してたし、暴力を振るう日もあれば、泣いてばかりの日も、笑い転げてた日もあった。そしていつものように、口癖みたいに、俺に――自分を殺してくれって、言ってくるんだ」
「……」
嵐くんは、今まで見たことがないくらいに仄暗い瞳をしていた。
レイくんが過去を話すときは誰かの小説のあらすじをなぞるみたいな言い方だったけど、それとは違う。
彼はそのことを誰よりも心配して、母親と一緒に傷ついたのかもしれない。
「俺はそれが見ていられなかった。もう母さんに傷ついてほしくなかった。見ていたくなかった。ずっとずっと殺してくれと言われて、気が狂いそうだった」
嵐くんは両手で顔を覆ってしまった。
泣くのを我慢しているのかもしれない。
でも何も言えなかった。
…何も、言えなかった。
「父さんはその頃仕事も放って母さんの傍にいたけど、ついぞ母さんが正気を取り戻すことはなくて」
ぎゅっと握っていた私の手を、静かにレイくんが解く。
そして力強く、握ってくれた。
…だめだ、聞いてる私が情けないことしちゃいけない。
私が気を引き締めていると、嵐くんは躊躇いがちになりつつも続きを話そうと口を開く。
「…俺は、母さんを殺した。母さんは、嬉しそうで、悲しそうで、苦しそうで、痛そうで」
冷えたお茶のグラスに、嵐くんの涙がぽたぽたと落ちていく。
その涙は結露した水滴と混ざって、ちゃぶ台の木目に消えた。
「最後に母さんは俺に言ったんだ。『ありがとう、ごめんね』って」
「!」
「その瞬間、俺は一体何をしてしまったんだって………やっと、気づいたんだ」
「嵐くん…」
「俺は気が狂いそうだったんじゃねえな、多分。……もうきっと既に、そのときには狂ってたんだ」
ず、と嵐くんが小さく鼻を啜る。
私も下手すると泣いてしまいそうだった。少し上を向いて、目から溢れそうな液体を飲み込もうと試みる。
「…そか」
私は、それしか言えなかった。
母親を殺したのは、それでよかったなんて言えることじゃない。
犯罪は犯罪だ。いくら私たちが犯罪者だったって、いくら理由があったって、それが変わるわけじゃない。
私たちは罪を背負って生きている。
だけど――彼の罪は、あまりにも辛くて重い。
「嵐」
そんな中口を開いたのは、レイくんだった。
嵐くんの名前を呼んで、真っ直ぐに彼を見る。
「俺は人並みの感情なんて持ってないし、薬も使ったことがないし、嵐の母親の状況になんてなったことがないから、これはあくまで俺個人の感想にすぎないけど」
「…ああ」
「嵐の母親は、それが救いだったと思う」
「!」
「事実、死にたかったんだろうな。何度も何度も願うくらい、疑いようもなく」
レイくんは窓の向こうに視線を移した。
何かを思うように虚空を見つめてから、続ける。
「死ぬのは逃げだよ。それ以上苦しまなくて済む。それ以上迷惑をかけずに済む。それ以上、悩まなくて済む」
「………」
「世の中にとっては駄目なことで、お前にとっては罪だったとしても。母親にとっては何よりの救いだったと、俺は思う」
「三ツ瀬…」
「嵐、お前は母親を救ったんだ」
「……っ」
嵐くんは自分の前髪をくしゃりと丸めて蹲った。
私から何か言うことはできない。レイくんの言ったことがすべてだった。
多分、嵐くんはこれからも罪の意識に苛まれていくだろう。
でもふとしたときにレイくんの言葉を思い出して、少しでも楽になれたらいい。
そう思うことしか、私にはできなかった。
「…………さんきゅ」
さっきと同じように、弱々しく、されど何かが変わった声色で。
彼は、お礼を述べてくれた。
「………っ、うっ………」
苦しそうな嵐くんの声だけが、部屋に響いていた。
………今こそフィグセルアカデミーで冷たい雰囲気を出している嵐くんだが、元々は素直で愚直な人だったのかもしれない。
だけど母親が狂い、そんな母親を優しくて誰より人の気持ちに寄り添う嵐くんは、さっき言っていた通り本当に、見ていられなかったのだろう。
それで殺してしまってから、嵐くんはあんなふうに冷たい雰囲気で周りを押し除けてしまったのかもしれない。
………でも、それでも《蒼穹》でみんなに慕われていたのは何でだろう?
罪滅ぼし、みたいな雰囲気は感じられないし…。
少し気になりながらも、私は改めて涙を拭う嵐くんを見る。
少なくとも今は、元々の素直な「西園寺 嵐」に戻っていられますようにと、祈りながら。
****
「………」
母親殺し、か。
帰ってきた私は、ベッドの上でアザラシのあーちゃんとエイのえーくんと、それからイルカのイルカマンのぬいぐるみを抱えながら考えていた。
『果音が、俺と別れるなんて言うから、この2人は死ぬんだ』
ある意味では、私も同類なのかな…。
それだったら、嵐くんより私の方が、よっぽど……。
…ううん、やめよう、そういうこと。
もう私は前に進むんだから。
お父さんと奏は、私がうだうだ悩むことなんて絶対に、望んでない。
乗り越えるって、決めた。
「よし!」
ひとまず、嵐くんの話は聞いた。
やっぱり気になるのは、嵐くんとその父親、雷さんとのことだ。
嵐くんは、雷さんは嵐くんママが正気を失っていたとき、仕事も放って傍にいたと言っていた。
そういえばその頃、大人気モデルだか何だかがいきなり無期限活動休止をしたとかで奏が泣いていたような気がする。
嵐くんは5年前って言ってたっけ…なら、そのとき奏は小学5年生か。お母さんも確かファンだったし、ハマっててもおかしくない。
まあそれはともかく、そんなに嵐くんママを大切にしていた雷さんは、嵐くんママを殺してしまった嵐くんのことをどう思っているんだろう。
家庭の事情に首を突っ込むのはよくないけど、このまま指を咥えてはいられない。
せっかく話してくれたんだ。それを確かめるくらいはしないと。
もし、もし…雷さんが、嵐くんを恨んでいないのなら。
『総長、名字がすっごく嫌いなんですよ』
彼はきっと、雷さんと話す必要があるだろうから。
――ということで。
「失礼します」
レイくんと私は、次に出るNeyBeのために撮影にやってきた。
いやあもう、レイくんと会ったときの雨宮さん、すごかった。
テレビでやってたから知ってはいたけどこう、現実で実際に目にするとすごい、って。
いやわかるよ。生きてるレイくんの破壊力は凄まじい。
いまだに、こんなにかっこよくて優しいレイくんが私の目の前で「好き」って言ってくれることに驚きを隠せないもん。
レイくんはまさしく神様から天上の美というやつをもらって生まれてきた人間だ。
だからこそ、私はつくづくラッキーなんだなあ、なんて思ってしまう。
それはともかく、私とレイくんは一旦離れて、私は衣装をもらって着替えをした。
「……これで、いいんでしょうか…」
「んー!やっぱりこれもすっっっっっっごく似合ってるわ!!」
「ど、どうも…」
テーマはオフィスラブ、らしくて。
私が着たのは一見ごく普通のワイシャツと、タイトスカートと、ネクタイ。
私も着るまで何も問題ないと思っていた。
…そして今は、そう思っていた呑気な3分前の私を恨む………。
「あの、雨宮さん」
「ほんっとに!似合ってるわ!」
「あめ」
「似合ってるわ!!!」
「スカート…」
「スタジオ!!行きましょうか!!」
くう、問答無用…。
そう、問題があるのはスカート。
くっっっっっっっそ短い。
飛び蹴りなんてしようものならパンツは丸見えだ。いやそれは飛び蹴りが悪いだけか…。
ともかく。
恥ずかしくて仕方がない。こんなに短いとは思わなかった。
いつも動きやすい服を好んで着る私にとっては慣れないの一言だ。
「結野 果音さん入りまーっす!」
雨宮さんに背中を押して入れば、スタジオにはもう、レイくんはいた。
っ、え……⁉︎
「果音…」
レイくんも、私と同じように目を見開いていた。
私も目を丸くしてしまう。
だ、だだだって、レイくんのスーツ姿…!
色気ダダ漏れ、大人っぽさレベルマックス。
溢れ出る有能上司感にオールバックの前髪、少し捲った袖から見える腕時計。
すべてが、最&高…!
「果音、やっぱりめっちゃかわいい」
「ふあっ⁉︎」
感動に打ち震えていると、レイくんががばっと抱きついてきた。
私の肩あたりに顔を埋めて、一向に動こうとしない。
「はー……これ不特定多数のスタッフに見せるとか。果音は俺の果音なのに」
「レイくん…」
嬉しいけど、恥ずかしいよ。