「うーん………。」
翌日の昼。
トイレから帰りながら、私は昨日のことを考えていた。
『総長、名字がすっごく嫌いなんですよ』
西園寺…西園寺 雷…嵐………、ねぇ。
年齢的に親子だろう、ってレイくんは言ってた。
嵐くんは今16か17歳だけど、西園寺 雷さんの年齢は37歳だから。
めっちゃ若いけど、まあそういう家もあるんだろう。流石に20年違いの兄弟はいない…と思う、多分。
名字…名字嫌い、か。
西園寺組がヤクザなら、単純にそれが嫌とか?でも女の子にちやほやされるのも嫌そうだし、雷さんの職業?
いやもしかしたら、もっと別の…。
「…まあ、待つしかないか」
私ができるのは単なる推測でしかない。
嵐くんから話してもらわない限りは、何も…。
「あ、果音先輩!」
「ん?」
突然声をかけられ、振り向く。
見てみれば、全身手当だらけの赤月くんが私を見つけてキラキラと目を輝かせていた。
手当の部分はこの前の喧嘩のものだろうか。それとも訓練とやら?
頑張りたいのはいいけど、ほどほどにしてほしい。
そして赤月くんは、そんなのも気にならないほどに嬉しそうに私を見つめていた。
な、なんだ?この圧倒的チワワ感…⁉︎
「こんにちは!先日はありがとうございました!」
「ふふ、どういたしまして。赤月くんは2年のフロアに何か用事?」
「あ、はい。総長に呼び出されまして!」
心底嬉しそうに赤月くんは言った。
ブンブン振っている尻尾が見えそうである。
嵐くんに呼び出されるのがそんなに嬉しいのか。
戦闘訓練が辛いって言ってたのにそんな反応するなんて、嵐くんは相当仲間を大切にしてるんだろうなあ…。
「果音」
「あ、レイくん!」
私の戻りが遅いと思ったからか、レイくんがやってきた。
私の次に赤月くんに視線を移し、無感情な瞳で「誰?」と尋ねる。
「はい!一年の赤月 契です!」
「…ああ、お前がアカツキクンか」
レイくんは私の腕をぐいっと引っ張って肩を抱き込むと、赤月くんをさっきよりも冷たい目で見やる。
「俺は三ツ瀬 澪。果音の彼氏」
「よろしくお願いします、澪先輩!」
「……まあ、よろしく」
レイくんはちょっとピリピリしているみたいだ。
はて?と思いつつ、私は教室に戻るべく、「じゃあ行こうか」と声をかけてから、レイくんに肩を抱かれながら踵を返したのだった。
****
「おい」
「んお?」
学校の帰り、レイくんが「親父から頼まれた仕事がある」とかで先に帰った後。
まんじゅうを頬張りながら電車に乗ろうと駅に向かっていたところ、急に話しかけられた。
なんか最近、急に話しかけられるの多いなあ。
「お前が結野 果音だな」
私に話しかけてきたのは、ピアスバチバチ・髪色プリン・制服は原型がないヤンキー3人組だった。
いやいやよくない。見た目で決めつけちゃダメってこの前学んだばかりだ。
レイくんも嵐くんも見た目怖かったけどすっごく優しくて律儀なわけだし。
「何かご用?もぐもぐ」
まんじゅうを食べ進めながら聞く。
「ヤスヒロさんが呼んでる。ついてこい」
「…ヤスヒロさん?誰?」
「いいからついてこい」
ヤンキーくんたちは機嫌が悪そうに言った。
いいから来い、って言われてもなあ。私、小さい頃に「怪しい人にはついていくな」ってお父さんに教えられてるんだけど。
「ヤスヒロさんって、誰」
語気を少し強めてもう一度聞くと、ヤンキーくんはチッと盛大に舌打ちした。
「知らねぇのかよ、世間知らず。ヤスヒロさんは暴走族《絶界》の総長だぞ」
…《絶界》?
そんな暴走族あったんだ…。私が知らないってことは、そんなに強い暴走族じゃないのかも。
いや、そもそも暴走族自体が嘘?……まあ、それはどうでもいいか。
本当だろうと嘘だろうと、危なかったら自分で火の粉を払えばいいだけだ。
「わかった、ついていくよ」
「わかればいいんだよ」
ヤンキーくんたちは、荒々しく私の腕を掴むと引っ張っていく。
これは跡になるかもな、なんて思いながら、せめてこの人たちがレイくんに制裁されませんようにと半ば他人事のように思うのだった。
しばらく歩いて到着したのは、歓楽街の裏路地を奥に進んだところにある廃ビルだった。
どうやらそこが《絶界》とやらの溜まり場らしい。
「こっちだ」
まだ私の腕を掴みながら、ヤンキーくんたちは階段を登っていく。
う……カビくさ。お酒とカップラーメンの匂いもすごい。
自分たちが溜まるところくらい掃除すればいいのに…。
「ヤスヒロさん、連れてきました」
「入れ」
そして5階の一番奥の部屋の扉を、ヤンキーくんが開いた。
「おら、入れ!」
ドンッ、と背中を押されて入れば、奥にいた人物が呆れたように声を上げた。
「おい、誰の許可得て女を雑に扱ってんだ」
「!」
「俺は丁重に連れてこいと言ったはずだが?」
「す、すみませんヤスヒロさん‼︎」
ヤンキーくんは慌てて頭を下げた。
…へー。ヤスヒロさんはそういうとこちゃんとしてるんだ。
「呼んだ側」なんだから、雑なことはしちゃいけないよね。
「もういい、出てろ」
「はっ、はい!」
ヤスヒロさんが命じると、その人はすぐに部屋から出ていった。
その人の気配が、声が聞こえないくらいに遠ざかったところで、ヤスヒロさんは口を開く。
「…うちのやつが失礼したな」
「それはいいよ。私は、だけど」
「まあ、後であいつが三ツ瀬に殺されようがミンチにされようがどうでもいい。それは俺の落ち度ではないからな。それより――」
ヤスヒロさんはその赤色の髪の間からまっすぐ私を見た。
見つめ返すと、面白い、とでも言うかのようにうっそりと笑ってみせる。
「お前、西園寺 嵐を知っているか?」
「西園寺…嵐」
…嵐くん?
嵐くんがどうかしたのかな?《絶界》って暴走族だよね?ってことは…。
嵐くんの情報を、私から抜き出そうとしてる?
「言っとくけど、無駄だよ」
「…何がだ?」
「『西園寺くん』の情報を知りたいんでしょ?お互いの名前くらいは知ってるけど、逆に言えば知ってるのはそのくらいなの。ヤスヒロさんたちのほうがよっぽど多く知ってるよ」
そう言いながら、私はそういえば、と以前来都くんと話したときの内容を思い出した。
『家族の話はしたがらないんだ。それ以外のことなら、話しかけると何だかんだ答えてくれるんだけどね~』
…家族の話はしたがらない。
確かに私は、来都くんにもらった情報だけは持っている。
でも、来都くんは私を信用して話してくれた。そうじゃなくとも、人の情報なんて渡せるわけがない。
私はため息を一つついてから踵を返す。
「じゃあね、ヤスヒロさん。早めに手を引いておいたほうがいいと思――」
「待て」
「?」
ヤスヒロさんが引き止めてきた。
…なんだろう?やっぱり諦めてくれないのかな?
そう考えるも、それとは裏腹に、ヤスヒロさんは驚きの提案をしてくるのであった。
「《絶界》に入らないか?」
****
「で」
「うっ」
翌日の土曜日。三ツ瀬組の屋敷のレイくんの部屋にて。
レイくんに壁ドンされながら、私は言葉を詰まらせた。
なんか、こうやって詰問されるの増えてきた気がする。多分私が考えなしの単細胞だからです。ごめんなさい。
「――それで《絶界》を潰してきた、と」
「…その通りでございます」
昨日、あの後。
私は《絶界》に入ることを丁重にお断りした、んだけど。
『そうか、残念だ』
いきなりヤスヒロさんの態度が豹変しちゃって。
『ならば…力づくで、やるしかないな』
…なんて言い出して。
結局、暴走族《絶界》総出で襲ってきたから、私はそのまま暴走族丸々一つ、潰してきてしまった。
「果音は相変わらず強いな」
「そ、そうかな、レイくんほどじゃないけど」
レイくんは、私の手元のスマホに視線を落とした。
そこには、『暴走族《絶界》、謎の抗争によって壊滅か?昨夜未明に勢力喪失』というタイトルのデジタルニュース。
私がやったことはバレていないが、そういう問題じゃないことくらい私にもわかる。
「それにしても危なすぎる。自重して」
「おっしゃる通りです……」
今回はなんとかなったとはいえ、この調子じゃいつ長期入院の怪我を負ってもおかしくない。
それに、私だってレイくんに心配かけたいわけじゃないんだから、もっと気をつけなければ。
やっぱりヤンキーくんたちについて行かない方が良かったかなあ…。
でも、放っておくと厄介な気がしたんだよね…。
と言うのも、《絶界》を潰す直前。
ヤスヒロさんは、立ち上がる気力も残らず床に伏しながら、嘲笑うような顔と声で私に言ったのだ。
『知ってるか……あの男、西園寺 嵐は』
『……』
『自分の実の母親を殺したんだ』
『!』
『最も…俺がそうなるように、したんだけどな』
あの言葉は、どこから真実でどこから嘘なんだろう。
確かに来都くんは私に「家族と何かありそう」ということを教えてくれた。
だとしたら嵐くんが母親を殺したっていうのは真実であるのかもしれない。
でも、ヤスヒロさんが仕向けたって何?殺すように暗示でもかけた?
ヤスヒロさんは、なんでそんなに嵐くんを――
…そこまで考えて、私は思考を打ち切った。
これ以上は私が推測を立てても意味がない。
嵐くんに、聞かないと。
でも!!
でもだよ、その前に。
「レイくん」
「ん?」
「これ見て」
レイくんの目の前に差し出したのは、私のスマホ。
画面に表示されているのは、昨日やりとりしたレイくんパパ…豪さんとのトークだ。
いやあ、昨日突然豪さんからメッセージ来たときはびっくりしたよね。
宛先間違えたのかと思ったけど、レイくんの話だったからもしかして私!?みたいな。
しみじとしていると、差出人を見たレイくんは眉をひそめた。
「親父?」
「そう。私、レイくんに暴走族を潰しちゃった話をしに来たんだけど、目的はもう一つありまして」
豪さんは私に言ってきた。
レイくんは、最近仕事詰めでストレスが溜まっているだろう、と。
だから、私に、癒して、欲しいと!
私で癒しになるのかどうかは全くわからないが、今はそれでもいい。
豪さんはレイくんをよくわかっているから、豪さんが言うのならきっと私はレイくんのお役に立てるだろう。
画面を見て私の思考を読み取ったらしいレイくんは、大きく目を見開いてから顔を片手で覆った。
はーっと、盛大なため息。
「何それ、かわいすぎ…」
「……あーっ、と」
こういうとき、私はつくづくどういう反応をすればいいか困るんだよなあ。
レイくんが私に本心でそれを言ってくれてるって知っていて、だからこそ照れて、ありがとうなんて返せない。
そんな私の心情を知ってか知らずか、レイくんは私を腕の中に閉じ込めて逃げ場をなくしてから、笑った。
「それじゃあ、癒してもらおうか」
「えっ、あの、レイくん」
「んー?」
レイくんの甘ーいお顔が間近に迫る。
いくらキスしたことがあるからって、流石にこれは慣れない。
「わ、私は、何を……すれば、よろしいんでしょうか」
緊張してしりすぼみで言うと、レイくんはふはっと笑った。
「じゃあ、果音からキスして」
「えっ⁉︎」
いきなりハードルの高いおねだりをされて、私は思わず固まる。
私から、キス…??
正直キ、キス…はしたいけど、自分からはこの上なく恥ずかしい。
…いやそんなこと言ってちゃダメ、か。
いつもレイくんからしてもらってるんだから、ここは私が勇気を出さないと。
私、レイくんを癒すために来たんだから!
「…よし」
私は覚悟を決めて、レイくんの首に腕を回す。
やってやろうじゃないか。女は度胸だ!
一気に近づいて、唇に軽く、キスした。
「…!」
頑張って、ちょっと長めに。
触れるだけの、柔らかいキス。
…ああ、安心する。
やっぱりものすごく恥ずかしいけど、レイくんに触れてると、すっごく安らぐ。
「……」
「――っ⁉︎」
すると、私の腰と後頭部を引き寄せたレイくんは、足りない、というふうにもっとキスを深くしてくる。
「んん、待っ」
「しー……」
静かに、とレイくんが囁いたかと思えば、私を深く貪ってくる。
渇望するように。乾いた砂漠が水を求めるように。
――とはいえ、渇望していたのはレイくんだけではないらしい。
私の心臓の奥はじくじくと痛むが、それは嫌な痛みじゃない。
熱くて、濡れてて、もっと欲しいと願う、心地よい痛み。
レイくんのディープキスに籠絡されてすっかり力が抜けた私は、レイくんに縋りついた。
「…レイくん、もっと」
「!………いつの間にそんなかわいい言葉言えるようになったの」
レイくんはほんのり耳を赤くして私の鼻先に唇を落とすと、私を改めて抱きしめた。
「あー…癒される」
「……それは、よかった」
なんか私、さっき恥ずかしいことを言った気がするけど、きっと気のせいに違いない。
さっきの記憶を意識の外にぽいっと投げ捨てて、私はレイくんの温もりを感じた。
…私こそ、癒されちゃってる。
レイくんを癒しに来たはずなのに。
「ほんと好き。大好き」
レイくんはそう言って体を離すと、キスを再開した。
今度はお互いの温度を感じるような、深くも軽くもない、安心するキス。
そこから下唇を噛まれたかと思うと、一気に深くしてきた。
「っ、ぁ……⁉︎」
「………は、たまんねえ」
こぼれ出た荒い口調に、お腹の奥が疼いた。
そんなこと聞いたら、ますますドキドキしちゃう。
頭の奥が溶けそうで、ほんとに、どうにかなっちゃいそう。
「いいよ、もっとしよう」
レイくんは瞳に熱をぎらつかせて言った。
「俺たちが溶けるくらい」
そうして、甘い時間は続いていく。
それから私たちは、お互いを貪りあった。
****
次の月曜日の放課後。
私とレイくんは、嵐くんに言われて、暴走族《蒼穹》のアジトにやってきた。
歓楽街からちょっと離れた駅に近いビル群の中にそれはあって、よくある「倉庫」というよりはヤクザの建物に近いかもしれない。
「総長!お疲れっす!」
私たちを連れて入ってきた嵐くんに、仲間らしき1人が声をかけた。
キラキラとした目で嵐くんを見ている。
学校では嵐くん大好き派と西園寺くん怖い派に分かれているけど、ここでは嵐くんはみんなに慕われているようだ。
というか、学校の嵐くん大好き派がそもそも、《蒼穹》の人たちなんだろう。
そのままエレベーターで8階まで上がる。
そうして案内されたのは、嵐くんの自室らしかった。
アジトの中に用意されてる休憩スペース、というよりは、ベッドもタンスもあるし生活スペースに見える。
…もしかして、ここで暮らしてる?
『総長、名字がすっごく嫌いなんですよ』
「……………」
「そこらへんに適当に座ってくれ」
嵐くんは机の横に通学バッグを置くと、小さな冷蔵庫からグラスとお茶を取ってついでくれた。
なんかマメだな…意外。無造作に放っておくイメージだった。
言葉に従ってちゃぶ台の近くに座ると、目の前にお茶を置いてくれた。
「で?」
レイくんは、早速切り出した。
「わざわざ誰も聞かないような場所まで連れてきて、どうした?」
「………」
レイくんの目は、冷たくない。
声音だって、嵐くんに問いかけているのは形だけで、本当は何を話そうとしているかわかったふうだった。
でも私はわからない。
何の話をするつもりなんだろう…?
「…来都が」
「来都くん?」
出てきたのは、意外な名前だった。
来都くんが、どうかしたのだろうか。
「2人には話してもいいんじゃないかって、言ってきた。俺のことを、俺の悩んでいることを、話すべきだと」
「え」
ふと、この前の会話が蘇った。
『多分だけど、2人なら嵐くんの話を聞いてあげられると思う』
…来都くんは、私に嵐くんの話を聞いてあげて欲しいと言った。
嵐くんにも言ってたんだ…。
でも、何で?
あの人は嵐くんの何を知ってるんだろう。
「あいつは不思議な男だ」
同じことを考えていたのか、嵐くんが呟くように言った。
「何を考えてるかわかんねえし、俺の何を知ってるかもわかんねえし、わかんねえことだらけだ」
「…うん」
「だけど俺たちに害意がないことだけは伝えてくる。それしか伝えることがねえのかもしんねえけど」
害意がない、か。
私が最初フィグセルアカデミーに来たときにもそれは感じた。
「オレは何も企んでないよ〜」って言ってきそうなくらい、「害意が感じられない」。
「だからとにかく、話してみようと思った」
「…そか。じゃあ、聞かせて」
ちょうど最近考えていた事柄だ。
嵐くんから話そうと決めてくれたのなら何より。
私は嵐くんに向き直った。
それから嵐くんは、まず頭を掻いて、悩むように部屋の角を見つめ、天を仰ぎ、うーむと唸る。
話すか葛藤しているのだろう。
「あー…重い話になるが、いいか?」
「もちろん」
嵐くんはさんきゅ、と言ってから一つ、重たいため息をついた。
「………最近会ったやつに話すのも変かも知れねえけどさ、三ツ瀬がいいやつなのも知ってるし、俺は俺なりに、結野のことを話してもいいって判断して話すから」
「ありがとう」
そう前置きを置いて、嵐くんは覚悟を決めたように、は、と短く息を吸って切り出した。
「俺は5年前、母さんを殺したんだ」



