彼と別れた瞬間、チャラいドクターからの求愛が止まりません


 休日の朝。

 キッチンでコーヒーを淹れていると、リビングから小さな声が聞こえた。

 「……いい匂い」

 振り返ると、ひよりが眠そうな顔のままソファに座っていた。

 寝起きで少し乱れた髪。

 ぼんやりした目。

 そんな姿すら可愛く見えてしまう自分は、相当重症だと思う。

 「飲む?」

 「飲みます」

 マグカップを二つ持ってソファへ向かく。

 ひよりは受け取ると、恐る恐るみたいにコーヒーを一口飲んだ。

 次の瞬間、わかりやすく眉が寄る。

 「……苦いです」

 思わず吹き出した。

 「そんな顔する?」

 「だって苦いんですもん」

 「……苦手だったんだ」

 「ブラックは、苦手です」

 即答だった。

 ミルクを冷蔵庫に取りに行き、ひよりのマグカップへ注いでいると、ふと昔の記憶が蘇る。

 大学時代。

 カフェで向かいに座っていたひより。

 いつも俺と同じブラックコーヒーを頼んでいた。

 あの頃は、コーヒー好きな共通点に浮かれていたくらいだ。

 でも今、ようやく気づく。

 あれは、たぶん。無理してたんだな。

 苦いのを我慢しながら飲んでたんだろう。

 俺に合わせて……?

 想像した瞬間、可愛すぎて笑ってしまった。

 「……どうしたんですか?」

 不思議そうに見上げてくる。

 「学生時代のひより思い出してた」

 「え、どんな感じだったんですか?」

 身を乗り出すみたいに聞かれて、また笑う。

 「秘密」

 「えぇ、気になります」

 「ダメ」

 そう言いながら、ひよりの頭を軽く撫でる。

 「俺だけの大事な思い出だから」

 ひよりが少しだけ悔しそうに唇を尖らせる。

 その顔すら愛しい。

 思い出せない俺たちの過去は、まだたくさんある。

 でも、それでいいと思った。

 今、ひよりは俺の隣で笑ってる。

 それだけで十分だ。

 「瑞貴さん」

 「ん?」

 「……そんなに見ないでください」

 「無理」

 即答すると、ひよりが困ったみたいに笑った。

 窓から差し込む朝の光が、柔らかく部屋を包み込んでいる。

 この先もきっと、

 こういう何気ない幸せを、何度も積み重ねていくんだろう。

 そんな未来を思いながら、俺はそっと、ひよりを抱き寄せた。




fin.