桜花彩麗伝


 ぴたりと図らずも煌翔の足が止まる。
 旺靖は思わしげに口端を上げた。

「地位も女も弟に奪われ、悔しくないんですか。本来ならすべて親王さまのものだったのに」

「…………」

 煌翔の瞳が揺れる。
 ────目を背け、見ないふりを続けていた部分を不意に突きつけられた気がした。
 心の奥底に沈殿(ちんでん)していた本音がかき混ぜられ濁る。
 本当にこれでいいのか。

 旺靖の言う通り、考えたことは確かにある。あの惨劇が起こることなく、もしも自分が王位を継いでいたら。
 彼女の隣にいたのは自分であったかもしれない。
 そのやりきれない感情を笑みの裏に隠し、羨望(せんぼう)や嫉妬を肥やさないよう、弟を憎むことのないよう、己を誤魔化し続けてはいなかっただろうか。
 煌翔が諦め、譲る(いわ)れなどないはずなのに。

「取り返せますよ、俺たちとなら。お嬢も本当はそれを望んでるのかも────」

 表情を強張らせる煌翔の傍らへ歩み寄り、その耳元で囁いた。

「陛下は間もなく彼女を王妃に迎えるでしょう。そしたらもう、親王さまが奪い返すことはできない。これが最後の機会ですよ」

 ゆっくりと顔を上げた彼は、惑っているようであった。揺さぶられた心に迷いが巣食っている。
 旺靖は笑みを深める。
 甘い蜜が彼の野心を絡め取り、熱を入れた。その確かな手応えに満悦(まんえつ)する。

「…………」

 試すような沈黙を経ると、やがて瞑目(めいもく)した煌翔はため息をついた。
 くるりと振り向き、身体ごと彼らに向き直る。

「────それで? まさか、たった三人で大業(たいぎょう)を成せるなんて思い上がってないよね」

 語り口は柔和なものへと戻っていたが、その言葉には一切の隙もなかった。
 悠景は双眸(そうぼう)を閃かせ、旺靖は甘心(かんしん)する。

「まずは同志に会わせてもらおうか」



     ◇



 一夜明けた深更(しんこう)────王族たる象徴である上等な装いの煌翔は、悠景、旺靖とともに謝家別邸の敷居(しきい)を跨いだ。
 一室の扉を開け放つと、両脇に男たちがずらりと連なり、(うやうや)しく(こうべ)を垂れていた。

()()()()にご挨拶申し上げます」

 少しく戸惑いを覚えつつも、煌翔はそれを表に出さないまま悠然と中央を歩んでいく。
 思いのほかの人数が揃っていたことに驚愕を禁じ得ない。
 しかし、悠景といえば左羽林軍大将軍として人望の厚い男である。数々の死線を潜り抜け、打ち立てた武勲(ぶくん)枚挙(まいきょ)にいとまがない。
 そんな彼が焚きつけ扇動(せんどう)すれば、部下らが文字通り身命(しんめい)()して追随(ついずい)するであろうことは想像に難くなかった。

 煌翔が上座の席、さながら玉座に腰を下ろすと銘々(めいめい)顔を上げる。
 悠景と旺靖も傍らへ(はべ)ると慇懃(いんぎん)な態度で一礼した。

「────この場に(つど)った三十の同志と我らの有する三百の兵は、殿下こそが真の王に相応しいと信じております。これは、蒙昧(もうまい)今上(きんじょう)陛下を廃し、泰平の世を取り戻すための“政変”にほかならない」