桜花彩麗伝


「もちろん覚えてるけど……何だか妙な取り合わせだね。僕に何か用? ここではもう、そんなふうに呼ばないでくれると助かるんだけど」

 いまさら王族として持て(はや)される気などない。だからこそ地位を返上した上で宮外へ出たというに、あえてそう呼び会いにきた理由は何であろうか。
 ────町を闊歩(かっぽ)する(よい)の色がいっそう深まり、黒煙のような雲が月を覆っていく。
 悠景と旺靖の双眸(そうぼう)が鋭い眼光を宿した。

「……そう寂しいこと言わないでください。我々にとっては、殿下こそ真の主なんですから」

 思わぬ言葉に光祥は瞬いた。訝しげに秀眉(しゅうび)を寄せる。

「……何だって?」

早耳(はやみみ)の親王さまなら、鳳宋妟に対する陛下の処罰もきっとご存知でしょ? まったく……公明さの欠片もない、私情だだ漏れの生ぬるい結論だと思いません?」

昨今(さっこん)の鳳家贔屓ぶりは目に余る。これまで陛下には真心をもってお仕えしてきただけに、ほとほと愛想が尽きました」

 煌凌はとにかく鳳家に甘すぎる。こたびの処分を受け、鳳家だけでなく王に反感を覚えた同志も少なくなかった。
 呆れたように言ってのけた彼らを眺め、しかし()()は悠々と瞑目(めいもく)する。それから一笑(いっしょう)に付した。

「……だから、わたしに王になれと? 失笑ものの戯言(たわごと)だ」

 玉座を巡る骨肉(こつにく)の争いの駒に、権力を求める政争(せいそう)の火種に、担ぎ上げられるなどまっぴら御免である。
 かくして弟を殺めた挙句に勝ち取った王位や玉座など、願い下げでしかない。ばかばかしい、というのが煌翔の率直な感想であった。

 夢幻もとい宋妟とは、幼い頃といまとで短からぬ時をともにしてきた。
 内情や彼自身の品性を理解している煌翔は、理屈によらずその無実を信じられる。
 だからこそ、王の下した判断は合理的かつ極めて妥当であると感嘆した。

 十年前の真相は真偽不明であり、誰しも裁くは至難(しなん)(わざ)である。
 ことさら慎重を期すべき処遇の判断であったが、確固たる罪を取り上げ、適当な斟酌(しんしゃく)を施した、最良の裁定(さいてい)であったとむしろ讃えるべきであろう。

「二度と、くだらない画策(かくさく)にわたしを巻き込むな。謀反(むほん)を正当化する口実にしたいのだろうが、見込みちがいだったな。諦めることだ」

 淡々と突き返し、煌翔は踵を返した。
 想定外の反応を受け、面食らったように瞬いた悠景は眉根を寄せる。
 一方で旺靖は取り乱さなかった。余裕の態度を保ったまま口を開く。

「本当にそれでいいんですか? ……親王さまの心にはお嬢がいるのに」