桜花彩麗伝


 一陣(いちじん)の風が宋妟の髪を揺らす。艶やかで美しい白銀の髪は、安泰を失った過酷な十年間の象徴であった。
 しかし、決して不幸一色ではない。
 “夢幻”というもうひとつの名を、宋妟は気に入っていた。

「……あの日、春蘭に出会えたことが何よりの幸運でした」

 最愛の兄の娘、彼女にどれほど救われたことであろう。
 春蘭がいなければ命はなかった。春蘭がいなければ、鳳家を思う傍らで己の身に起きた暗澹(あんたん)たる悲劇に絶望し、とうにすべてを諦めていたかもしれない。
 夢幻を、宋妟を生かしてくれたのは彼女だった。

 ────しばしその存在を確かめるようにしていた元明は、ややあって腕を解いた。
 姿かたちは変わっても、たがわぬ眼差しに懐かしさを覚える。
 国のため、王のためを思えば自身より遥かに優秀な弟を、労りながらも摯実(しじつ)な色の双眸(そうぼう)で捉えた。

「軟禁が解けたら、これからは朝廷で堂々とその手腕(しゅわん)を振るってくれないか。鳳家にも国にもきみが必要だ」

 宋妟はしかし、快諾(かいだく)とはいかなかった。
 緩やかに首を横に振ると、静かに「いいえ」と言う。

「しばらくは息を潜めておきます。でないと、十年前の二の舞になるでしょうから」

 こたびのことは間違いなく(はかりごと)である。
 自分を足がかりに鳳家を陥落(かんらく)しようという黒幕の思惑が、英明(えいめい)な王のお陰で外れたことにより、連中は宋妟の動向にいっそう目を光らせているはずだ。
 そんな状況で矢面(やおもて)に立てば、次に負うは矢傷程度では済まないかもしれない。同じ(てつ)を踏むわけにはいかない。
 一件の裏側にいる黒幕をどうにかしなければ、鳳家に平穏は戻らない。



     ◇



 日が暮れた頃、悠景と旺靖は揃いで施療院を訪れた。
 旺靖の調べにより、親王の位を返上した“彼”がここで民への奉仕活動と賃仕事をしていることを掴んでいたのである。

「親王さま」

 手放したはずの呼び名と聞き覚えのある声に、光祥は足を止めた。
 施療院を出たところで振り向き、彼らの姿を認める。

「きみたちは……」

「お久しぶりです、殿下(でんか)

 悠景は誠心誠意、礼を尽くした。
 横にいた旺靖は一歩歩み出ると、親しげな笑みをたたえる。

「親王さま、俺のこと覚えておいでです?」

 悠景とともにいるのは朔弦かと思ったが、暗がりから姿を現したのは別の人物であった。
 取り立てて記憶を探るまでもなく思い出すに至る。
 宮殿を出た日、桜花殿で邂逅(かいこう)を果たしたのちに、宮門まで見送るべく随行(ずいこう)してきた羽林軍の兵である。
 人懐こく快活(かいかつ)な彼には好感を覚えたものだが、いま浮かべている表情は、あのとき見た笑みとはどことなく色を(こと)にしているように思えた。