桜花彩麗伝


 旺靖は言いながらその折のことを回顧(かいこ)する。

『初めて会ったはずなのに見覚えがある、みたいな人っているよね? 何で覚えがあるのか思い出せなくて、ずっともやもやしてるんだ』

 得体の知れない既視感に思い悩んでいた彼に、思いつく限りの可能性を呈示(ていじ)しつつ様子を窺っていたときであった。
 何かをひらめいたかのごとく“丹紅山”と呟いた彼はあのとき、それから息をのんだ。

『まさか、お嬢さま……』

 彼がそう呼ぶ相手には、ひとりくらいしか心当たりがなかった。
 旺靖は身を乗り出し、悠景に言う。

「その“お嬢さま”が貴妃さまのことを指してるなら……と思って密かに調べたんすよ。“丹紅山”って単語も気になって。そしたら────」

 旺靖は罪人名簿を広げ、ある記載を指した。
 そこにあるのは“鳳宋妟”についての記録である。宮中で殺人を犯した上、書庫に火を放ち逃亡した重罪人であるが、追跡の末に事故で死亡したために捜査打ち切りとなっていた。
 それでも、彼にまつわる一切の事柄は鳳一派の禁忌(きんき)として扱われ、突かれたくない“痛いところ”には触れないのが不文律(ふぶんりつ)となっている。

 悠景は旺靖の意を察した。到来した鳳家一強の時代に、自身と同じく晴れない感情を覚えているのであろう。
 その所懐(しょかい)を直接の言葉にはしないが、釈然としない心境であるからこそ、悠景を同志と見なし、かくして直談判(じかだんぱん)に訪れた。
 宋妟に関する件をいまさら持ち出したのは、肥大化する鳳家の勢力を()ぐ狙いがあるためであろう。

「……なるほどな。おまえの言いたいことは分かった」

 罪人名簿を眺めていた悠景は、険しい眼差しで旺靖を見据える。

「だが、奴は三年前にとっくに死んでるし、いまさら鳳家を追い詰めるには足りねぇだろ」

「────本当に死んでると思います?」

 ひときわ謹厳(きんげん)な声色で言った旺靖は、すっと目を細めた。

「遺体を見たって人がひとりもいないんすよ。王太子がそうだったように、奴が生き永らえてる可能性は大いにある」

 悠景は思案顔で腕を組む。確かに彼の言い分には一理ある。
 目ざとくその心情を悟り、旺靖は内心でほくそ笑みながら言を繋いだ。

「そして、その場合……鳳家が(かくま)ってるかもしれない」

 この憶測が事実であれば、それは間違いなく鳳家の弱点となる。
 宋妟が罪人である証拠はないが、同時に罪人でないという証拠もない。
 現状、前者が事実である前提がある以上、いくら鳳家とてそんな彼を蔵匿(ぞうとく)するなど許されるわけがなかった。