桜花彩麗伝


 だからこそ配された護衛であると同時に、それが本意なのである。
 櫂秦は「閉めとけ」と小窓を引くと、俊敏(しゅんびん)に軒車を降りた。

 ────馭者台(ぎょしゃだい)から下りていた紫苑も既に剣を抜き、覆面の男たちと対峙していた。
 ざっと見ただけでも十人はいる。その中のひとり、黒い笠の男に紫苑は目を留める。

「おまえは……」

 薬材事件の折、尾行した航季の部下に姿かたちや背格好が似ている。
 (しか)らば、彼らは航季の仕向けた兇手(きょうしゅ)なのであろうか。

「やれ」

 笠の男が毅然と命ずると、複数の剣先がふたりに迫った。



 春蘭は軒車の中で、次第に激しくなる剣戟(けんげき)の音を聞いていた。
 (やいば)のぶつかり合う甲高い音や(うめ)くような声が耳につくたび、寿命が縮む思いをする。
 実際に目にしておらずとも、多勢(たぜい)無勢(ぶぜい)であることは察するに余りある。
 しかし、武術の心得などない自分には、恐怖に震えながら彼らを信じて待つことしかできなかった。

 やがて、通り雨であったように音が止む。雌雄(しゆう)が決したようだ。
 軒車の戸が開かれる。
 そこには不安気な面持ちの紫苑と、息をつく櫂秦の姿があった。
 土埃(つちぼこり)や軽い切り傷は見受けられるが、命に関わるほどの重傷には至っていないことをひと目で確かめると、春蘭は心の底からほっとした。

「よかった……。ふたりとも無事で」

「当たり前だろ、こんくらい余裕。じゃなきゃ、おまえを守るとか軽々しく言えねぇよ」

「お怪我はありませんか、お嬢さま」

「大丈夫。ありがとう」

 笑みながら頷くと、彼らの背後に目をやった。
 地面には兇手(きょうしゅ)たちが()されており、笠の男のほかに息はない。
 気絶している彼が動き出す気配はないが、ひとまず、紫苑のほどいた飾り紐を縄代わりに捕縛(ほばく)しておく。

「この男ですが、蕭航季の腹心(ふくしん)です」

「あいつ、牢にいるはずなのに……」

「本当に追い込まれてるみたいね。危険を(いと)わずこんな直球勝負に出るなんて」

 直接的な最終手段に出ようとは、いよいよ絶体絶命であるようだ。
 死中(しちゅう)に活を求めた結果、仕損じたことでかえって土壺(どつぼ)にはまってしまった。
 お陰で衰勢(すいせい)の蕭家にとどめを刺す、またとない好機が訪れた。

「このまま宮殿へ戻りましょ。笠の男は錦衣衛に連行して、事の次第を煌凌に伝えるわ」



     ◇



「しくじっただと……?」

「はい、若さま……。貴妃に差し向けた刺客(しかく)は黑影を除いて全滅。黑影も捕縛されていたので、間もなく錦衣衛に突き出されるかと……」

 部下から始終(しじゅう)を聞き及んだ航季は、もどかしい苛立ちの赴くままに拳で格子(こうし)を殴りつけた。
 形勢逆転を狙う最後の機会をみすみす逃したことになる。

 そのとき、地を踏み鳴らすような足音が響いてきた。
 牢を(おとな)った容燕は憤慨(ふんがい)したまま、忌々(いまいま)しげに獄中の航季を()めつける。
 その胸ぐらを掴めない代わりに、勢いよく格子を握り締めた。

「よくも余計な真似をしてくれたな……!!」