桜花彩麗伝


 さすがに唖然と呆れかけた朔弦は、は、と思わず嘲笑をこぼす。
 鋭い双眸(そうぼう)で王を見据えた。

「……何と言った?」

 まるで理解も納得も及ばない状況に陥り、珍しく感情的になっていた。
 彼はしかし、問いを無視しながら鬱陶(うっとう)しげにふらりと目を逸らす。
 一方、悠景は王の言葉に気をよくしたのか、持ち前の雄邁(ゆうまい)さをもってますます笑った。

「ええ、俺は陛下の味方ですよ」

「…………」

「……なあ。おい、朔弦」

 不服そうに黙する甥を一瞥(いちべつ)し、笑みを消すとやや謹厳(きんげん)に呼びかける。

「春蘭殿が入内(じゅだい)して、貴妃に冊封(さくほう)までされて、宰相殿も復位(ふくい)した。鳳家を立て直すって目的ならとっくに果たしただろ」

「……それは、基盤に過ぎません。最終的な狙いは蕭家を排することで────」

「だからよ、それは“欲”だってんだよ」

 思わぬ言葉を受け、意表(いひょう)を突かれたように朔弦は秀眉(しゅうび)を寄せる。

「欲……?」

「ああ、おまえの野望だ。春蘭殿や陛下を焚きつけ、道具として利用してる。だから思い通りにならなくなったいま、それだけ腹が立つんだよ」

 朔弦の瞳が揺れた。しかし、その動揺は決して図星を指されたためではなかった。
 蕭家の排斥(はいせき)という目的が誤りであるとは思えない。
 春蘭や王を道具として利用しているなどという自覚もない。同志であると、少なくとも朔弦は思っていた。
 腹立たしいのはそのせいだ。
 大いなる目的を放棄し、私心(ししん)や私情を優先した王に、裏切られたと感じている。

「……野望ではなく“大義”です」

 毅然と言を返し、怜悧(れいり)な彼は意を透徹(とうてつ)する。非難じみた眼差しをふたりに突き返した。

「それが分からないのなら、あなた方は蒙昧(もうまい)暗君(あんくん)奸臣(かんしん)だ」

「何だと? おい、待て。朔弦!」

 淡々と踵を返し、礼もなく去っていく。悠景の引き止める声にも一切耳を貸さず、振り向かなかった。
 ひとことも口を挟まなかった王は、遠ざかる朔弦の背を、見えなくなるまで摯実(しじつ)な眼差しで捉えていた。



 ────春蘭が訪ねてきたのは、彼らが下がってから数刻後のことであった。

「陛下、鳳貴妃さまがお見えです……」

 取り次いだ清羽の声がどことなく遠慮がちであったのは、彼自身も芙蓉の冊封に戸惑っているからこそであろう。
 仲睦まじい春蘭と煌凌の姿を微笑ましく見守ってきただけに、こたびの王の判断には困惑が拭えなかった。

「……下がらせよ」

 緊張の滲む沈黙を経て返ってきた言葉に、春蘭も清羽も揃って息をのむ。
 狼狽(ろうばい)したように視線を彷徨わせた春蘭を、清羽は案じて見やる。

「貴妃さま……」

 これまで、こんなことは一度もなかった。
 春蘭が訪ねてくれば、たとえ政務(せいむ)の中途であろうと駆け寄ってくるほどであったのに。会おうとすることもなく帰らせようとは。

「で、ですが、ひと目だけでもお会いになられては────」

「聞こえなかったか? 余は貴妃に会う気はない。直ちに下がらせよ」