桜花彩麗伝


「……そうだ。分かっていた。薬包(やくほう)を受け取ったとき、帆珠の名が出た時点で」

 果たして首肯(しゅこう)した煌凌に、櫂秦は食ってかかる。

「だったら、何で。もっとうまくやれたはずだろ。いくら春蘭を人質に取られたってよ、どうするべきか、ちゃんと時間かけて考えれば────」

「あれ以上、猶予(ゆうよ)はなかった。春蘭の身がもたなかったかもしれぬ。さすれば元も子もない……」

 煌凌は悔しげに唇を噛んだ。

「……こたびのことは、連中の狙いに気づくのが遅れた余の負けだ」



     ◇



 桜花殿をあとにした王が蒼龍殿へ赴くと、そこには案の定といった具合に容燕が待ち構えていた。
 参殿(さんでん)するなり怯みも悪びれもせず口を開く。

「鳳貴妃が全快(ぜんかい)なさったとのこと……。よかったですな、主上」

「…………」

王命(おうめい)を下された手前、既にご存知でしょうが、こたびの危機を救ったのはほかならぬ帆珠です。つきましては、淑妃への復位をお認めなされ」

 白々しくもなされた申し出は想定通りであったが、煌凌は気色(けしき)ばんでしまう。

「冷宮へ落とされた廃妃(はいひ)は、言葉を交わすことも人を遣わすことも禁じられている。増して薬材を持ち込むなど論外だ。己の罪を(かえり)みるどころか、規則を破った者を後宮へ戻せ? 聞き入れられるはずがなかろう」

「そうですか。しかし、規則だ何だと申しておる場合か? 薬材がなければいま頃、鳳貴妃もその腹にいる御子(みこ)もあの世へ行っておったでしょうに」

 煌凌は返す言葉を失った。
 朔弦の懸念していたのはこういうことであり、王自身も見越していた展開ではある。
 それでも、容燕は想像以上に隙も抜け目もなかった。

「…………」

 口を噤んだ王は瞑目(めいもく)し、観念すべく息をつく。
 ────かくして、帆珠は再び淑妃として後宮へ返り咲くこととなった。



     ◇



 行灯(あんどん)片手に芙蓉は夜の禁苑(きんえん)を散策していた。

 くだんの一件に関しては、何もかも目論見(もくろみ)通りの結果を得られた。
 打算的な協力を持ちかけた帆珠もさぞ満足したことであろう。
 当初の取り引きに従い、側室への推挙(すいきょ)を迫る名分は得られたが、懸念すべきはそんな彼女の性分(しょうぶん)であった。

 後宮へ復位したのをよいことに、芙蓉との約束を反故(ほご)にするかもしれない。
 目的を果たした帆珠にとっては、既にどうでもよいことであると見切りをつけてもおかしくなかった。

 彼女をあてにせず自ら立場を固められれば、それに越したことはない。
 力のない芙蓉がとれる手段といえば、ひとつしかなかった。

「!」