桜花彩麗伝


 側室として人の上に立ち、特別な存在となることで、その矮小(わいしょう)な器を誇示(こじ)したいといったところだ。
 それだけで帆珠が後宮へ戻る足がかりとなってくれるのであれば、お安い御用である。

 側室となったところで所詮は女官上がりに過ぎず、頼れる後ろ盾もない。
 こうして密かに帆珠に接触し、協力を申し出てきた時点で、春蘭に対する裏切りであることは明白だ。鳳家が後見(こうけん)となることもありえない。
 その上、王の寵愛(ちょうあい)も高位も望まないとなると、側室など名ばかりで何の脅威にもならない。
 意に沿わなければ、自分が復位してから彼女を廃すればよいだけの話である。

「ふふ……。あはははっ」

 込み上げた笑いをこらえきれず、帆珠は声を上げて哄笑(こうしょう)した。
 思わぬところで光明(こうみょう)が差し込んだ。かくも都合のよい手駒(てごま)が手に入るとは。

 ただ機を待ち続けるだけの忍耐の日々は終わった。
 再び光射す場所へ戻るときもさほど遠くない。それは、後宮における春蘭の天下が終わることを意味するであろう。

「いまに見てなさい……。今度はあんたが苦しむ番よ」



     ◇



 何食わぬ顔で桜花殿へと戻った芙蓉は、いつものように茶の支度を始める。
 春蘭の好きな花茶を淹れると、袖口から薬包(やくほう)を取り出した。さらさらと粉を注ぎ込み、軽く混ぜて溶かしておく。
 湯気の立つ蓋碗(がいわん)茶托(ちゃたく)などとともに盆に載せ、長椅子で書を読んでいる彼女のもとへ運んだ。

「お嬢さま、お茶をどうぞ」

「ありがと、芙蓉」

 にこやかに書を閉じた春蘭が茶器(ちゃき)に手を伸ばす。
 蓋碗(がいわん)に口をつけたのを確かめると、芙蓉は思わしげに目を細めた。



 ────それから数刻後、目論見通り体調不良に陥った春蘭は寝台(しんだい)で横になった。
 例によって王や紫苑、櫂秦、橙華など何も知らない彼ら彼女らは一様に案ずる。
 芙蓉は冷めた感情でその様を眺めながら、懸命に看病するふりに徹した。

「大丈夫ですか、お嬢さま……」

 高熱に苦しみ喘ぐ春蘭に水を飲ませ、額に浮かぶ冷や汗を拭ってやる。
 紅潮した頬といい、荒い息遣いといい、芙蓉の仕込んだ薬は想定以上の効き目を発揮していた。
 一向に快方(かいほう)へ向かう気配のないまま、既に五日ほどの時が経っている。

 王は筆頭の侍医をはじめ、宮廷の医官を総動員して春蘭の治療に乗り出したという。
 あらゆる薬材を揃え、資金を惜しまず事に当たっているが、どの薬材を試しても持ち直すことはなかった。

 当然と言えば当然である。芙蓉の用いた薬は言わば一種の毒であり、帆珠もとい蕭家の用意した特別な調合によるもの。
 春蘭の容態は一見、ただの体調不良のようだが、専用の解毒薬がなければ確実に回復は望めない。