桜花彩麗伝


「婕妤さま! 婕妤さまー!」

 桜花殿内に落ちた神妙な沈黙を破ったのは、橙華の明るい声であった。
 嬉々とした様子で飛び込んでくると、息を整えながら言う。

「主上がお呼びです!」



 ────かくして、芙蓉や橙華の手により普段よりいっそう飾り立てられた春蘭は、泰明殿へと向かった。
 格式高い本殿へ呼ばれるとは意外であったが、その用向きを聞き及べば合点がいった。

 参殿(さんでん)した春蘭が中央で(ひざまず)くと、玉座に腰かけていた王は思わずといった具合で立ち上がる。
 見とれているように見受けられ、壇上にいた煌翔は微笑ましく思いながらそんなふたりを見守った。
 ほかに元明、悠景と朔弦、菫礼が控えており、紫苑や櫂秦、芙蓉、橙華も壁際に寄って(はべ)る。
 巻子(かんす)を手にしていた清羽はそれを(うやうや)しく王へ差し出し、にこにこしながら端へ下がった。

 煌凌は受け取った巻子を開き、気を取り直して読み上げていく。

「鳳春蘭。そなたの慎ましい品行と高い徳は、後宮の規範たるに相応(ふさわ)しい。それだけでなく、こたびの懐妊は王室にとって慶賀(けいが)の至りにほかならぬ。よって、本日をもってそなたを正一品・貴妃に任ずる」

 階段を下り、春蘭に歩み寄ると閉じた巻子を差し出した。
 直々(じきじき)に手渡された任命書を丁寧に受け取ると、春蘭は心地のよい拍動を実感しながら(こうべ)を垂れる。

恐悦至極(きょうえつしごく)に存じます」

 顔を上げると、(いつく)しむような眼差しを注ぐ煌凌と目が合った。
 本来は淑徳殿で()り行われるべき任命式であるが、大々的な冊封(さくほう)であることや太后の一件を踏まえ、この折と場を選んだのであった。
 どちらからともなくたたえた微笑みが、あたたかく心を満たしていく。
 ────ようやく夜が明け、居場所を見つけた気がした。気兼ねなく、それぞれが爛漫(らんまん)に咲いていられるような。

 そっと見守っていた面々は、互いに目を見交わしたり笑みを浮かべたりと喜びを(あらわ)にしていた。
 そんな中、芙蓉はただひとり険しい表情でいた。()めつけるような鋭い眼差しをふたりに突き刺している。
 そのことに気がついた朔弦は、人知れず目を細めた。

 人の心は分からないものだ。
 以前、春蘭にそう警告したことを、果たして彼女は覚えているであろうか。
 (うれ)いを帯びた胸騒ぎを感じ、固く口を閉ざしたまま眉を寄せた。
 ひどく、嫌な予感がする。



     ◇



 数日後、桜花殿を訪ねてきた煌翔は、以前のような素朴な格好に戻っていた。
 殿内へ上がることも茶も拒み、禁苑(きんえん)で春蘭たちと(かい)する。

「どうしたの、その格好」

 親王として王族の装束(しょうぞく)をまとっていた姿があまりに絵になり似合っていただけに、むしろ見慣れたはずの平民たる装いの方に違和感を覚えてしまう。
 いまになって思うと、彼の身に染みついた高雅(こうが)な所作のひとつひとつから、隠しきれない気品が漂っていた。
 平民を装うには洗練されすぎて、調和がとれていないのである。
 やはり上品な微笑をたたえ、彼は朗々(ろうろう)と言う。

「宮廷暮らしにも飽きてきたし、そろそろ元の生活に戻ろうかなと思って」