「……張玲茗。そなたの罪は既に明らかだ」
もはや“太后”と呼ぶこともなく王が厳然と告げると、煌翔の傍らに控えていた洪内官が“胡蝶伝”を手に歩み出た。
みなまで語られずとも、彼こそが“無名”なる作者であることは自明である。太后は衝撃から立ち直ると、怨恨の込もった眼差しで睨めつける。
あの事件での生き残りは、太子とその侍従である内官────その事実にはたと思い至り、つい朔弦を見た。
『取り引きいたしましょう』
妃選びを前に、その審査権を王に分与することを求め、そう持ちかけてきた。
そのとき、彼は言っていた。
『当時仕えていた女官がひとり、生き残っていたのです。その者がすべて口を割りました。我々が保護しているので、いまさら命を狙っても無駄です』
もしも本当に証人となりうる女官を見つけ出し、保護したのであれば、彼女を切り札に太后を廃妃にすればよかっただけの話である。
蕭家にとっても太后にとってもそれが最大の痛手なのだから。
本当にそんな女官がいたのなら、そもそもあのような取り引きは必要なかったのだ。
まんまと欺かれ、脅迫に屈してしまった。この窮地はそんな己の失態が招いたも同然である。
鳳派が力を持ち、帆珠が冷宮へ追いやられ、機を見計らったかのように世に出回った例の書に足をすくわれた。
ぎり、と奥歯を食いしばった太后は不服そうに顔をもたげる。
厳しい色の双眸で、非難すべく王と朔弦を見やった。
「……審査権の分与と引き換えに、追及は受けぬと約束したはずだ。忘れたか」
低めた声は怒りでわずかに震える。
所詮は悪あがきであることを自覚しながら、しかし唯一の抵抗であった。
ふたりはその折のことを思い返す。
『……ただし、己の言葉は守ってもらうぞ。今後どのような形であれ“あの件”の追及は受けぬ』
王に与えられた審査権は、それと引き換えの約束であったはずだ。
いまになって反故にするとは何とも虫のよい話である。
完璧であったはずの予防線が破られ、太后は憤りを顕にした。
「まさか、忘れるはずがありません。わたしは確かに己の言葉を守っております」
朔弦が淡々とこともなげに答える。戸惑うように眉を寄せた太后は、一拍のちにその意味を理解した。
あのとき、同席していた王はただのひとことも発していなかった。
つまり“己の言葉”は朔弦にのみ適用され、その約束において王は無関係であると言いたいのであろう。
「小癪な……! さような屁理屈が通用するはずがなかろう!」
「────往生際が悪いですぞ、太后さま」



