桜花彩麗伝


 そんな捨て台詞を残し、航季は踵を返した。半ば逃げるように去っていく。

 その姿が見えなくなると、ふたりして紫苑に目をやった。
 ひとつは不安そうな、もうひとつは怪訝そうな、それぞれの視線を受け止めながら、彼はただ微笑みをたたえる。

「そろそろ戻りましょうか、お嬢さま。抜け道はわたくしどもで探しますから」

 先ほどの意味深な航季の言葉に関して、彼だけは平静を失わなかった。
 ぴしゃりと高圧的に制したところを見ると、いくらかの“事情”を知っていそうなものであると櫂秦は推測する。
 航季の言った意味の半分も分からなかった春蘭は、流されるような形でそれに従い歩き出した。



 桜花殿へ戻るなり、三人は円卓を囲んで座った。
 櫂秦は冷茶を勝手に注ぎ、ごくごくと飲み干す。
 そうしながら航季の言葉を思い出し、疑念をどう切り出すべきか迷っていた。

 “代替品”。
 “生き残ったのが春蘭でまだよかった”。

 聞きたい気持ちは山々だが、考えなしに口にしても、また適当にはぐらかされて終わるような気がする。
 それを反芻(はんすう)していたのは、春蘭も同様であった。
 ふと、瑛花宮で芳雪と交わした会話を思い出す。

『あれ。あなたには兄弟がいるんじゃ……?』

 なぜ、いまそれを思い出したのかは分からない。
 ただ困惑を伴いながら、予感ばかりが膨らんでいく。

「……何かさ、変だったよな。紫苑」

 結局、櫂秦は思考を止めた。いつも通り、直球で勝負に出てみる。

「……何がだ」

「ぜんぶ。何もかも。すべて」

 その返答に眉を寄せた彼と目が合うと、ずい、と顔を寄せた。

「なに隠してんだよ、おまえ」

「隠してなど……」

「せめて春蘭に関することは言えよ。分かってんだろ、あいつが言ってたことの意味」

 春蘭も頭をもたげた。窺うように紫苑を見やると、戸惑うような眼差しが返ってくる。
 それは紛うことなき肯定であった。

「…………」

 沈黙ののち、ややあって重たげに口を開く。

「────お嬢さまには、兄君がいたんだ」

 望むべくして生まれた鳳家の嫡男(ちゃくなん)は、(よわい)三つにも満たない頃、麻疹(はしか)によってその短い生涯を終えた。
 そのため紫苑も直接の面識はなかったが、緋茜から何度か話には聞いていた。
 紫苑が鳳邸へ住まうことになったのは彼の死後で、緋茜は彼に負わせるはずであった“妹を守る”という使命を、紫苑に託したのかもしれない。

 いずれにしてもそれは春蘭が生まれる以前の話であり、その深い悲しみを引きずらないよう、以降は誰も彼の話を持ち出さなかった。
 実際に示し合わせて春蘭に隠していたため、彼女があずかり知らないのは当然と言える。