桜花彩麗伝


 確かにそれは事実であった。
 ときに手を汚し、ときに人を(あや)め、叔父や家門を守ってきた。
 不正も不義も(いと)わなかった。
 直近で言えば、医女の誘拐にしたってそうである。それも、そして宋妟の件を黙殺(もくさつ)したことも、露呈(ろてい)すれば罪に問われるであろう。

 しかし、航季の口ぶりは随分と抽象的なものだ。
 実際には何ひとつとして証拠を掴んでいないのだろう。
 当然と言えた。朔弦が易々と尻尾を出すわけがない。

「…………」

 しかし、彼は口を噤んだ。
 下手に反抗すれば探られ、隠していることが明るみに出る。
 宋妟の件まで明かされれば、春蘭も無事ではいられなくなるであろう。
 謝家の安泰も(おびや)かされ、叔父にも迷惑がかかる。

「将軍……」

 莞永は不安気に朔弦を窺った。
 彼であれば真っ当な言を返し、この状況を打開してくれるだろうと思ったのに、一向にその気配はない。

 朔弦はそっと目を伏せたまま押し黙っていた。既に反駁(はんばく)する気概など失せてしまったかのように。
 その様子を見て、航季は満悦したように口端を持ち上げる。
 勝ち誇ったような態度で堂々と歩き去っていった。



 兵たちも引き揚げ、残されたふたりの間に静かな空気が流れる。
 その場に落ちていた通知書を拾い上げ、莞永は唇を噛み締める。

「将軍、受け入れていいんですか……? 急に罷免(ひめん)だなんて横暴すぎますよ」

 どうして反論しなかったのだろう。あれでは航季の言い分を認めたも同然だ。

「もし、医女の件が原因なら……わたしの仕業だと話します。実際に(さら)ったのはわたしですし」

 航季の言う“色々なこと”には、それも含まれているような気がしていた。
 実際には、航季はその件を掴んでもいないのであろうが。

「命じたのはわたしだ」

 朔弦は短く言い、莞永を制する。
 さらに元を辿れば悠景の指示であったわけだが、いまは関係ない。

「ですが、将軍────」

「おまえはもうそれ以上何も言うな。わたしがいなくなったあとの左羽林軍を頼む」

「嫌です! 将軍がどこかへ左遷(させん)されるならわたしも一緒に行きます」

「莞永」

 朔弦は呆れたようにその名を呼んだ。それでも彼は意思を曲げたくなかった。
 何と言われようと、こればかりは譲れない。
 朔弦のいない羽林軍に残ったって仕方がない。羽林軍に務めたいのではなく、朔弦に仕えたいのだから。