桜花彩麗伝


 ふわ、と風が舞った。開け放たれた丸窓や半蔀(はじとみ)から吹き込んできたのだろう。
 部屋を一見した春蘭はなぜか率直(そっちょく)に、懐かしい、と感じた。
 しかし、遠い過去に触れたときの感覚とはちがう。
 懐かしく親しみやすい、そんな不思議な感覚に包まれた。

 一歩足を踏み入れ、あたりを見回す。
 それで理由が分かった。

「わたしの部屋に似てる……?」

 雅趣(がしゅ)で美しい卓子(たくし)や長椅子。間仕切(まじき)りの奥にある天蓋(てんがい)つきの寝台(しんだい)に、螺鈿細工(らでんざいく)の施された鏡台。
 飾り棚、行灯(あんどん)に円卓、活けられた花々に至るまで、配置やもの自体は異なるものの、この空間は鳳邸の春蘭の部屋とよく似ていた。
 柔らかくあたたかい印象を受ける。

「芙蓉さんの考えなんです!」

「……少しでも、安息していただきたくて」

 嬉々として橙華が言うと、芙蓉が控えめに続いた。
 橙華自身は本邸の春蘭の部屋を知らないため、芙蓉から詳細に情報を聞きながら、ほかの女官や内官たちと協力してこの部屋を作り上げたのであった。

 春蘭の眉頭に思わず力が込もる。

 気丈(きじょう)に振舞っていても、春蘭が実際には戸惑いと疲弊に沈鬱(ちんうつ)しそうなのをこらえていることに、芙蓉は気づいていたわけである。
 深い真心と行き届いた気遣いが、心の芯にじんと染み渡る。

 そうも思いやってもらえているのだということが、何にも替えがたい喜びであった。
 瑛花宮で感じていたような孤独感や心細さが、爽やかな初夏の風に乗ってどこかへ吹き飛ばされていく。

「……ありがとう。本当にありがとう、ふたりとも」

 春蘭は振り返ると、ふたりまとめて抱き締める。
 ────喫緊(きっきん)の問題は山積みだが、乗り越える気力をすっかり取り戻すことができた。



     ◇



 煌凌は蒼龍殿へ向かった。
 無論、いつもの通りこもって時間を潰すだけであり、上奏(じょうそう)には手をつけない。見向きもしない。
 そうして一見、無頓着(むとんちゃく)を装うことにはもう随分と慣れていた。

 椅子に腰を下ろしたとき、清羽が悠景の来訪を告げた。
 取り次ぎを許可すると、すぐに彼が姿を見せる。

「春蘭殿が無事、後宮に入ったとか。陛下、よかったですね!」

 悠景は歯を見せて笑い、順調な事の運びを素直に喜んだ。
 朔弦の講じた策通り、一旦元明を罷免(ひめん)したあと、春蘭を側室に迎えることにまんまと成功した。

 いまのところ滞りなく、万事思惑通りに進んでいるように思えるが、煌凌の顔は何だか浮かない。
 彼は重たげな声で言う。

(かんば)しくない事態になってしまった」

「え? 何か問題が?」

「容燕が……娘を正一品の側室に、と」