桜花彩麗伝


 感情を(たかぶ)らせながら喚いた。
 あまりに予想外の言葉になおも理解が遅れるが、なぜかその光景だけはありありと想像できた。
 あの女、というのが春蘭を指しているのだということも分かった。

「側室だと……!?」

「そうよ! 婕妤に任ずるって」

 とんでもない話である。
 王が元明を罷免(ひめん)したことで、すっかり(あなど)っていた。
 てっきり鳳家を捨てたものだと、蕭家の天下は目前であるとばかり思っていた。
 そう信じ込まされていたのかもしれない。春蘭を側室に迎えたということは、そういうことであろう。
 明らかな“裏切り”である。

 ……もしや、それに(かこ)つけ、元明の身分回復を狙っているのではないだろうか。

「早く宮殿に行って、父上に伝えてよ!」

 帆珠は叫ぶように()き立てた。一刻も早く手を打たなければ、すべてが水泡(すいほう)()してしまう。
 それどころか、鳳家がさらに優位に立つこととなる。

 悔しげに唇を噛み締めた航季は返事も忘れたまま、すぐさま自室へ引っ込み、官服(かんふく)に着替えると馬で宮殿へと駆けた。



     ◇



 一方、宮中────容燕の執務室には、蕭派の重臣たちが顔を揃えていた。
 中央の長い卓子(たくし)を囲んで座り、それぞれ上機嫌で酒を()み交わしては勝利の美酒に酔いしれる。

「容燕殿、一献(いっこん)どうです」

 吏部尚書である男が言う。
 心から甘心(かんしん)したようなその顔は、酒気(しゅき)がなくとも火照っていた。容燕も同様である。
 ついに憎き元明を零落(れいらく)させることに成功し、積年の恨みが晴れたのだ。
 この上なく気分がよく、高揚感と満足感に包まれていた。
 (しゃく)を受けた容燕は、酒が波打ちながら杯を満たしていく様を眺めて笑った。

「こたびはそなたの力を借りるまでもなかったな」

 自身の酒杯(しゅはい)にも酒を注ぎながら、その言葉に彼は頷く。

 人事を(つかさど)吏部(りぶ)の尚書は、官吏の罷免権を有しているため、もとはそれを行使(こうし)して元明を罷免するつもりでいたのだが、結果的にその必要はなくなった。
 その前に王が直々(じきじき)に元明の職を解いたためである。

 また、理論上、彼はいつでも元明を罷免できたわけだが、それは現実的とは言えなかった。
 元明は王の信頼も厚い上、宰相の地位に就いていたせいだ。
 宰相という位は当然ながら吏部尚書よりも高位であり、王の直下にある地位のため、なかなか手出しできなかったわけである。

 私怨(しえん)で罷免に追い込んだりすれば、王に睨まれるだけでなく、職責(しょくせき)を問われるような問題に発展するだろう。
 ただし今回のように名分さえあれば、宰相の罷免も難しいことではなかった。

「さすがの主上も玉座が惜しかったんでしょう。それを(なげう)つほどの価値など、鳳元明にはないですからな」

「あれも愚かな男だ。そうまでして玉座にしがみついても、結局は傀儡(かいらい)となる宿命だというに」

 いっそう大きな笑い声が響く。
 容燕にははなはだ疑問であった。不思議で仕方がない。
 どうしてあの王は、しつこく玉座に執着するのであろうか。
 その方が都合がいいため、彼としては一向に構わないのだが。