桜花彩麗伝




「主上」

 客間へ入ると、元明が慌てたように呼ぶ。

 煌凌は椅子に座ったまま、曖昧な表情を浮かべた。
 元明に会えたことは嬉しいが、後ろめたい何かがある、といったような様子である。
 一時的に敵を(あざむ)くためとはいえ、敬愛する元明を罪人として扱い、罷免(ひめん)までしてしまったのだ。気後(きおく)れして当然である。

「すまぬ……。余を恨んでいるか?」

滅相(めっそう)もない。賢明なご判断でした」

 傍らに立つ紫苑は、元明の言葉に眉を下げ俯く。
 本当に、恨むどころかただの一度も文句さえ言わなかった。
 いまの朝廷に、元明ほど高潔(こうけつ)な忠臣はいないであろう。……罷免されたが。

 一拍置き、朔弦が口を開いた。

「────一連の出来事に関して、申し上げてよいですか」

 煌凌がこくりと頷いた。
 元明は円卓を挟み、彼の向かい側の椅子へと腰を下ろす。

「陛下が宰相殿を罷免なさったので、蕭派はいま、大いに甘心(かんしん)していることでしょう」

「……はー、特に容燕はなぁ。目の上の(こぶ)が取れて大喜びだろうな」

 櫂秦が言った。
 そんな容燕が次に狙うは、空いた宰相の座であろう。
 積年の野望を叶えるのに、邪魔者はすべて消えたのだ。迷う必要も躊躇う必要もない。
 以前にも増して野心を剥き出しにし、王や太后を脅迫することも(いと)わないだろう。
 特に盾となっていた鳳家を失った王に関しては、完全なる傀儡(かいらい)とする絶好の機会が巡ってきたのだ。

「玉座を出しに脅してくるはずです。妃選びを続行し、蕭帆珠を王妃に迎えるよう」

 元明は顔を上げ、朔弦を見やる。
 それは容易に想像できたが、何よりまずい展開でもあった。
 宰相として朝廷の実権を、そして娘を利用し後宮の実権を、かくして宮中全体、国そのものを操る気なのだ。

 朔弦はいたって平板(へいばん)な声で続ける。

「ですから先手を打ちました。つい先ほど瑛花宮にて、陛下が直々(じきじき)に妃選びの取り止めを宣告され、かつ────春蘭の後宮入りを申し渡された」

 元明は瞠目(どうもく)し、煌凌を見やった。
 あらかじめ軽く話を聞いていた紫苑と櫂秦は、少なからず冷静にその言葉を受け止めることができた。
 首肯(しゅこう)した煌凌は元明に向き直る。

「そういうことなのだ。それについても、黙って進めてすまぬ……」

 驚きはしたものの、誤った判断だとも、早計(そうけい)な判断だとも思わなかった。

 ────当初は妃選びを続けることこそが、鳳家立て直しのための唯一の手段だと思われていた。
 春蘭が王妃になれば、いかに不利な状況もひっくり返すことができるゆえである。

 しかし、見落としていた。それは春蘭の参加が前提となっている。
 元明が罷免された時点で、参加資格の剥奪(はくだつ)は至って当然の措置(そち)であるのに。

 だから、中止した。そうするほかなかった。

 春蘭のいない妃選びなど、続けてもまるで意味がない。
 それどころか、むしろ連中に機会を与えてしまい、こちらが追い込まれるのみである。

 正妃ではなく側室を迎えるのであれば、厳正なる審査は不要であった。
 王のひとこと、それだけあればよい。
 誰を後宮に入れようと、(おみ)たちには口を出す権利もない。
 そしていかな形であれ、王の妃となるのは光栄な慶事(けいじ)である。
 すなわち春蘭が側室になれば、元明の身分を回復させる“口実”を作ることができる。