『その父上がおまえを殺せと言うんだから仕方ないだろ』
航季はあくまで冷酷に言い放つと、躊躇なく剣を振り下ろした。
首に走った真一文字の切り傷から鮮血が翻り、兇手はばったりとうつ伏せに倒れる。
『黑影、ここからはおまえに任せる。計画通りにな』
『承知しました』
血濡れた剣を鞘におさめ、ひと足先に航季は場をあとにした。
計画通りに────黑影は懐から、あらかじめ用意していた偽の遺書を取り出す。
それを、短剣とともに事切れた男の傍らに置いておけば完了だ。役目を果たせる。
『……!』
しかし、顧みた黑影は予想外の事態に晒された。
すぐ足元に倒れていたはずの兇手が忽然と消えていたのである。
困惑しながら周囲を見渡せば、一目散に山道を駆けていく後ろ姿を捉えた。
どうやら航季のひと太刀では、息の根を止めるには至っていなかったらしい。
剣を抜くと、隙をついて逃げ出した男のあとを急いで追う────。
竹林へと通ずる道へ出たとき、不意に思わぬ人物に出くわし、反射的に足を止めた。
王直属の護衛、嘉菫礼である。
こんなところで何をしているのか、訝しむと同時に腑に落ちた。
ここは妃候補者たちの宿舎である瑛花宮への近道だ。およそ王の命か何かで様子を窺いにいっていたのだろう。
『…………』
彼は例によって何も言わず、ただ黙したままじっと黑影を捉えていた。
本能的な危機感を覚えた黑影は咄嗟に剣を鞘におさめ、口当てを押さえたまま踵を返す。
これ以上の追跡は危うい。
彼に勘繰られては、下手なことが王の耳に入りかねない。
かくして、生死の確信がないまま引き揚げる羽目になった。
────その後、時を置いて山道へ戻った黑影は、血を失って力尽きていた兇手を見つけ出し、遺書を仕込んだわけである。
結果として目的は果たせたが、何と不確かで無責任な始末であろうか。
「白けさせるな。さっさと来んか」
上機嫌な彼らは、どうやらそんな実情を知らないようだ。
しかし、失策と紙一重であったことを我が身かわいさに黙っていられるほど、黑影は不義不忠な男ではなかった。
「……申し訳ありません。わたしの不注意で、男を一度取り逃してしまい────」
容燕は眉をひそめ、航季は瞠目した。
斬って倒れた段階で絶命したとばかり思っていたが、誤算どころか驕りであったようだ。
航季の心から衝撃が引いていくと、次第に冷静な苛立ちが湧き上がった。
酒杯を引っ掴み、青ざめる黑影の顔を目がけて投げつける。
酒杯は彼の額に当たり、床に落ちて砕けた。流した前髪から、ぽたぽたと雫が垂れる。
「ふざけるな! それでそのまま放ってきたってのか」



