桜花彩麗伝


 しかし、王妃になりたくないと強く思っても、わざと落とされるような態度を取ったりしないのは、楚家の娘たる矜恃(きょうじ)ゆえであった。
 いい加減な姿勢で審査に(のぞ)めば、傾きかけている楚家はさらに不利な状況に追い込まれかねない。

 また、それを親族に見抜かれようものなら、批難されるのは芳雪ではなく兄だ。
 楚家はそうして、嫡流(ちゃくりゅう)を守ってきたのである。

 芳雪は池から手を引き上げる。
 ぽたぽたと垂れる雫で騒がしかった水面は、しばらくして凪いだ。
 再び鏡のように静かになった水面に、何ごともなかったかのように月が浮かぶ。

「……ごめんね、湿っぽい話しちゃって」

「そんなこと……。兄弟がお互いを想い合うって素敵なことだと思うわ。わたしにはいないから、羨ましい」

 そんな春蘭の呟きについ眉を寄せる。

「あれ。あなたには兄弟がいるんじゃ……?」

「え? いないわ。わたしひとりよ」

「そう……?」

 何となく()せない気持ちで芳雪は首を傾げる。
 ────父が楚家当主の座に就いていた頃、鳳家の嫡男(ちゃくなん)について言及していたような覚えが微かにあるが、あれは思いちがいだったのだろうか。

「どうしてわたしに兄弟がいるって?」

「ううん、何でもないの。勘違いだったみたい」

 そう言って笑い、首を横に振る。
 春蘭は不思議そうな顔をしていたが、それ以上何も言わなかった。

 ふと、芳雪は「そうだ」と(たもと)に手を入れる。
 薄紙と手巾(しゅきん)に包まれた何かを取り出した。

月餅(げっぺい)よ。お腹が空いたから、女官にお願いして作ってもらっちゃった」

 悪戯(いたずら)っぽい表情を浮かべる芳雪に、春蘭は思わず笑った。
 姉弟揃って大食(たいしょく)であるようだ。
 池のほとりの大きな庭石に腰を下ろした芳雪は、とんとんと軽く石を叩き、隣に座るよう促す。

「春蘭にひとつあげる」

 膝の上に手巾を広げながら言う。
 その優しい声と表情に思った。きっと、姉がいたらこんな感じなのだろう。
 くすぐったいような気持ちになりながら、(ふところ)から手巾を取り出すと、彼女のもとへ歩み寄った。

「あ……」

 その瞬間、ふわっと風が吹きつけ、持っていた手巾が風に舞う。
 幸い池に落ちることはなく、植え込みのそばにはらりと落ちた。

 そちらへ向かいかけたとき、偶然歩いてきた誰かの裾が目に入り、思わず足を止める。
 現れたのは帆珠であった。手巾を拾い上げる。

「帆珠」

「…………」